早朝に大川学園の門を叩く。まだ白む空の下で俺達は首に巻く布に顎先を埋めながら、開門を待った。眠気眼で入門票を差し出してきた小松田さんに「おはようございます」と挨拶を済ませると、名を明記した者から次々に五年長屋の自室へと駆け出して行く。予定通りに戻って来た俺達が次にする事は、最小限に携帯する荷を下ろして、寝着を手に風呂に向かう事だ。身体を温めて疲労と泥を落として、昼餉まで睡眠を取る。午後は休み明けに行われる予算会議の準備。
「あー疲れたー!」
「勘右衛門、戸の前で伸びるなよ。俺が入れないだろ」
「ああ、ごめん」
室に入り荷を置くと、ふと文机の上に置かれている物が視界に入った。勘右衛門も気付いた様で、「蜜柑だ!」と俺の背から目を輝かせている。「お前の文机の上にもあるぞ」と言ってやれば嬉しそうにはしゃぎ出す。疲れたと言えど元気はまだ余っているみたいだ。蜜柑が二つ並ぶその下に、文が置かれていた。手に取り中を見遣ると、少しばかり重く感じていた目蓋が見開かれる。文は伏見先輩からだ。
「兵助、行かないのか?」
「行く」
既に準備を終えた勘右衛門が戸に手を掛けて俺を待っていた。文を戻して寝着を手にすると、俺は勘右衛門の耳にそっと「あの蜜柑は伏見先輩からの差し入れだ」と話してやる。「会ったらお礼言わないと」と蜜柑の差し入れに未だ嬉しそうな顔をする勘右衛門はきっと風呂上りにでも美味しく頬張る気だろう。午後の委員会が楽しみだ。帳簿への再度の目通しや予算案の作成も済ませてくれているらしいから、大した事はしないだろうけれど。それでも、伏見先輩に会える。それだけで俺も何時の間にか口角が上がっていたようで。
「兵助も蜜柑の差し入れ嬉しがってるじゃないか」
「勘右衛門程じゃない」
勘右衛門に頬を突かれながら俺は風呂へ向かった。
仙蔵から文が届いた。けれど、私は読む気が進まなくて未だに封切れないでいる。二日前に仙蔵宛の文を認めて差し出したけれど、あの日以来の仙蔵の落ち込み様に私は目も当てられなくて、医務室で寝泊りする事にした。足の怪我があるから次の休みには会えない。だから急用が出来たと短文に認めたものだけど、会えないだけであそこまで落ち込むだろうか。相当、私の偽者であるくノたまの子と仲良くなったみたい。
「……嬉しそうだな」
「そうかな」
当番も兼ねてか昼餉を持って来てくれた伊作の面がとても楽しそうに見えた。だから「嬉しそうだな」と口にしたのだけど、伊作は「明日は休みだからね」と私の隣に座して昼餉を置く。
「はい」
「ありがとう」
「よく噛んで食べるんだよ」
「過保護」
「まだ熱が下がってないんだ。保健委員長として当たり前の事だろう?」
「この後の委員会活動には出るつもりだ。……そこまで着いて来るなよ。伊作だって保健委員会があるんだから」
「それは傷の癒え具合に因るかな」
箸を手に白米を口にする。温かい味噌汁を啜ると、身体がほかほかしてきた。うん。やっぱり食堂のおばちゃんのご飯は美味しい。
「なあ、伊作」
「二人の時は女の子らしい言葉遣いで呼んで欲しいなあ」
「私の傷は次の休みには癒えるかな」
明日は兎も角として、次の休みは兵助と豆腐屋に出向く約束をしている。今の足では女物を着て町まで歩くには些か難しい。走れなくても、せめて普通に歩ける程度にはなりたい。伊作の言葉には無視だ。
「何処か行きたいの?」
「違う。伊作と行くんじゃない」
「仙蔵?」
「っ……兵助」
伊作は優しい顔をした鬼だと思う。さり気無い面でさらりと私の傷を抉る言葉を掛けてくるのだから。何があったのかとか、私の心情とか、知っているくせに口にする。兵助の名を口にした途端、「ふうん」と低い声が耳に届いてきたけれど、私は黙々と昼餉を口にして無反応を決め込んだ。
「休日は僕と過ごしてと言った気がするんだけどな」
「伊作よりも前に兵助と約束していたのだから兵助との約束を優先するのは普通だろう」
「その足で?」
「だから、次の休みには出歩ける程度には癒えてるか聞いたんだ! それに、伊作とは明日一緒に居てやると言ったんだから良いじゃないか!」
以前の事があるから、伊作はきっと心配をしてくれているのかもしれない。でも、もう、兵助は大丈夫だ。あれ以来、変な事してくる様子も無い。まあ、一寸だけ――ううん、かなりしつこくはなった気がするけど。
「……そうだね。次の休みには杖無しで歩く程度には癒えてるんじゃないか? 無理をしなければだけど」
苦笑を漏らしながら私の頭を撫でてくる伊作に不審に思いながらも、私は「そうか」と短く呟いては昼餉を口にした。