室の手前まで来ると閉ざされた戸を引く手がとても重苦しく感じた。此処の戸ってこんなに重たかっただろうか。滑りが良いわけでも悪いわけでも無い戸。窪みに指を挿し入れ引くと「栢丸か」と澄んだ声音が耳に届き、ふと面を上げれば仙蔵の顔が直ぐ傍にあった。思わず固まってしまった私の顔は呆け面だったと思う。肩違えて室を出る仙蔵の背をそのまま見送ってしまって、抓まれた様な痛みがちくりと私の胸に走った。だが、痛みの理由なんてどうでも良い。知りたいと思わなかった。
「入らないのか」
「……留三郎」
衝立の奥に見える私の布団の上で胡坐を掻く留三郎。何で此処に居るとか、腕に抱いている上掛けは何だとか。何時もなら苛立ちを交えて口に出てくる筈の言葉も今の私には喉の底で燻るだけで、言の葉として出る事は無かった。戸を開けたまま室に入って、私は衝立を動かす。衝立の柄を握ると、私の手の上から留三郎の手が重なった。思わず手を引っ込めると「悪ぃ」とばつが悪そうな顔で謝ってくる。
「……何」
「いや、手伝おうかと思って」
確かに一人ではこの衝立は些か重い。小さく「頼む」と呟くと、「おう」と返ってきた。一人では重い衝立も、留三郎に手伝って貰う事で容易く仕舞える事が出来た。「ありがとう」と呟けばまた「おう」と変わり無い返事。布団を畳んで隅に追い遣ると、私は行李の蓋を開けて木櫛を取り出した。
「何か、用か」
「用が無いと来ては悪いのか」
「……あのなあ」
「貸せよ」
「あっ」
私の髪に宛てていた木櫛を奪うと、留三郎は優しく私の髪を持ち上げて梳いていく。正直、留三郎に背を向けるのは嫌だなと思った。けれど、今日の留三郎は何時もと違う目で私を見てくる。何時もは目を輝かせ頬を綻ばして今にも飛び掛らんばかりの雰囲気を出してくるというのに。
「お前、元気無いな」
「そう言う留三郎こそ、何時もの勢いは何処へ行ったんだ」
「いや……別に」
留三郎の手が優しく私の髪に触れてくる。何時もこれくらい静かであれば良いな。だなんて思っていると、背後から行李の上蓋に木櫛が置かれて、私の上体は後ろへ傾いた。肩を締め付ける留三郎の腕に手を当て、後ろから抱き締められているのだと知った。耳背に掛かる留三郎の温い息遣いに思わず目蓋を固く瞑ってしまう。慄いてしまった自分が悔しい。何時もとは違う留三郎に油断してしまった自分が莫迦みたいだ。留三郎の腕を剥がして逃れようと強張る腕を振るう。
「留さ――」
「俺、今日、用具倉庫の不寝番なんだ」
「な、に、言って」
「昨日、学園長先生からお前の家から珍しい忍器を預かったとかで用具倉庫に置く事になってな。下級生に任せるわけにもいかなくて……俺一人だと心元無い。栢丸、用具委員会の手伝いを引き受けねえか?」
ぐっと抱き寄せられる留三郎の腕に、応じろと言われている様で、私は自然と引き結んでいた口端を緩めて息を着いた。
「……言葉と行動が伴ってない」
「好いた女を抱いて何が悪い」
「――っ……こんな事ばかりしてると、本気で嫌うぞ」
「懸想する相手、居ないんだろ」
返す言葉が見付からなかった。確かに、私は留三郎の様に誰が好きだというわけではない。好きな人が居るなら諦めるとでも言うのだろうか。
「……居る」
「嘘言うな。好いた男が居るならとっくの昔に言ってるだろ」
「居ないからって、私が止めて欲しいと言っているのにするの――ふぐっ」
「莫迦、声が大きいっ」
私の口元を塞ぐ留三郎の手は大きい。背後から包み込む様に抱き締めてくる留三郎はとても温かくて、喉が番えそうになる。ゆっくりと離された私の口は息を思う様に吸えない。何で。
「っ……抱き締めるだけだ。何もしねえよ」
何で私は泣いているのだろう。何で私の胸内は今は此処に居ないあれの名を呼んでいるのだろう。