仙蔵の言葉に私は「そうか」と答えるしかなかった。みつねは私なのに、仙蔵が言うみつねは、仙蔵に向けて夜に会いに行くと言ったらしい。私は言った覚えは無い。という事は、誰かが私だと偽って仙蔵に言い寄ってきたという事だ。陽の光も射さない暗い押入れの中で、私は平刀を手に下段と上段を遮る分厚い中板に長方形の穴を掘っていた。顔を洗いに行った仙蔵が帰って来る前に少しでも進めなければ。ぽろぽろと落ちてくる木屑に構う事無く、黙々と手探りに進める。あと少しで出来るかな。戸をそっと開いて掘り進めた場所を確認する。光が差し込み視界に映ったその場所は簪が二つ入る程度の広さで、後は深さがあれば直ぐにでも隠せるだろう。頭や肩に付いた木屑を払って私はゆっくりと押入れから這い出た。戸を閉めて、私も顔を洗いに行かないと。平刀を行李の中に仕舞って、私は手拭いを手に外へと出た。
「何だ、今起きたのか」
「仙蔵……」
考えまいとしていた仙蔵がすっきりした顔で私と擦れ違う。昨夜からだ。昨夜から、私は仙蔵を前にすると一歩踏み止まる様な、そんな気持ちで向かい合ってしまう。仙蔵から他のところで寝ろと言われてからだ。今まで無かったからかな。仙蔵に彼女が出来れば、仙蔵はその彼女に呼ばれ行く。今までに一度も私に室を空けろと言って来なかった――というよりも、彼女に押し掛けられて強制的に室を追い出されてばかりいたから言われた事が無かっただけなのかもしれないけれど。それとも、やっぱり私じゃない別のみつねが気になるからかな。くノたま相手に何度も私を捜しに出ていたのだから、仙蔵に気のあるくノたまが私を装って仙蔵に近付く事なんて考えれば容易く思い付く。だというのに、何だろう。とても釈然としない。
「おはよう、栢丸。今から顔洗いに行くの?」
「伊作……ああ、おはよう。行くよ」
「一緒に行こう」
肩を叩かれて私は伊作の後に続いた。
「栢丸?」
「あ、何」
「いや……元気無いなと思って」
「そうか? ……寝起きだからじゃないかな。何だか、頭がはっきりとしなくて」
「……そう?」
冷たい井戸水で顔を洗えばきっと目が覚める。そう口にして私は伊作から顔を逸らした。伊作は私の胸内を見透かしてくる。気分が乗らない時とか、落ち込んでいる時とか、伊作は私の顔を窺ってくる。昨日だってそうだ。私と長次の関係について追求してきた。保健委員だからなのかな。怪我や病気を看て人の調子を察するのがとても上手い。
「おう、伊作、栢丸、おはよう!」
「朝から元気だなー、小平太は」
「おはよう、小平太」
桶を取って小平太の隣に並ぶと井戸桶から水を汲んで顔を洗う。井戸水の冷たさに身が引き締まる様で、首に掛けていた手拭いで水気を拭うと頭上を見上げた。喉を伸ばして、鼻で深呼吸する。
「栢丸は喉仏無いなー」
小平太の声に思わず喉を鳴らして顔を下げた。何の情も映さない小平太の面に小睨むと、「そう怒るな」と口にして房楊枝の端を噛み出した。伊作から手渡された房楊枝の端を口に放り込み、私も小平太同様に噛み潰して歯を磨く。
「私は、小平太のその立派な喉仏が羨ましいよ」
「そうかー?」
「ああ」
「私は栢丸くらいの声になりたいものだ」
「小平太が?」
奥の歯を磨きながら私達は器用に会話をする。伊作は桶の水に顔を突っ込んで何をしているのか分からないけれど。
「何で」
「私は少しがらがら声だからだ。栢丸の――うーむ、何と言うかな」
「澄んだ声だよね」
「そう、それだ。その声が羨ましい」
「……そうか?」
一歩間違えれば――というよりも、女の声だというのに。栢丸で居る時はそれなりに喉を痛めない程度に低い声を出してはいるけれど、私の声はあまり男らしい声では無いと思う。
「私は伊作の声の方が良いな」
「ああ、伊作の声もよく通るな」
「だろう」
「ちょっと待ってよ二人とも。何の話さ、これ」
一寸、気恥ずかしい。朝から何の話しているのだろう。伊作の言う通りだ。互いが互い苦笑やら笑顔を見せると、遠くから長次と文次郎の姿が見えてきた。ああ、長次の声も太くて逞しいし、文次郎の声も伸びやかな声でとても男前な声だな。私からしてみれば皆の声が羨ましい。私の喉ももっと成長してくれれば良かったのに。本当に、羨ましい。仙蔵も、何時の間にか男らしい良い声をするようになっていた。どんな声だったっけと、先に聞いた声を思い起こすと、無性に切なくなった。胸にぽっかりと穴が空いた様な、そんな感覚。何でだろう。