の身体

憧れていた悔しかったでも怖かった

 伊作の繰り出してくる一打一打がとても痛くて重たくて、腕で受ける度に足元がふらつきそうになる。五年生の時に手合わせして以来、伊作は身体つきもだけど構えや姿勢がとても勇ましくなった気がする。昔は私の方が背も高かったし、力もあった。女の子に間違えられそうなくらい可愛かった顔も今ではとても男らしくて、私が欲しいと思った全てを伊作は手に入れていた。背も、手の大きさも、体格も、顔も、声も、何もかも、男らしい。でも、やっぱり伊作は昔と変わらない。後方へ地に手を着き飛び退きながら伊作の攻撃を躱すと、振り向いた瞬間に伊作の叫び声が聴こえてきた。下を見遣れば、穴の土壁に両の手を着いて見上げてくる伊作の情けない顔があった。

「これは綾部の落とし穴だな」
「うぅ、痛い」
「一人で上がれるか?」
「大丈夫だと思う」

 穴から這い出た伊作に手を差し出す。「ありがとう」と頬に土を付けながら握り返してきた伊作に小さく笑ってやると、伊作の情けない顔が苦笑へと一変した。途端、伊作の顔が再び一変する。変じたと思った時には既に遅く、私は伊作の手に引き寄せられて地に押し付けられた。頭を打たなかったのは一重に伊作の手が先回りして私の頭を守ってくれたからだけど、私の腹に跨って私の顎裏――詰まりは首にその大きな手が掴み掛かってきた。喉、鎖骨、胸に伊作の腕が圧し掛かる。直ぐ耳元で伊作の声が普段よりも少し低めに響いた。

「僕の勝ち、だね」
「……不運のくせに」
「うん。まさか、あそこで綾部の落とし穴があるとは思わなかった。でも、おかげで栢丸に隙が出来た」

 無効だと言っても通用はしないのだろう。首を取られてしまったのだから、私には今更抗う術は無いもので、大きく息を吐くと私は「分かった」と短く答えて伊作の手首に手を添えた。それなりに太い手首だ。仙蔵くらいかな。

「落とし穴が無ければなあ」
「無かったら僕が危なかったかもしれないな。足に入れられたあの蹴り、まだ一寸じんじんする」
「それ、大丈夫なのか?」
「うん。これくらいなら大丈夫。そのうち痛みが引くさ」

 互い息切れの中で交わす言葉に笑みを零すと、伊作が私に身体を預け「疲れた」と呟いた。伊作の頭を軽く撫で叩いていると、遠くから留三郎の五月蝿い声が近付いて来た。さて。どう伊作に話そうか。





 ――という事で。私は今、伊作の室で伊作を前にして茶を啜っていた。留三郎が居ない室というものはとても静かなものなんだなあなんて思っていると、伊作が笑み一切含まない面で私を真っ直ぐと見てきた。一寸怖いよ、その顔。

「長次とは仲直りした」

 先ずは結論から。仲直りというのも言葉としては適当ではない気がするけれど、広い目で見れば適当かなと思う。伊作の視線が一寸痛いので視線は茶に宛てる。もうそろそろ留三郎達が風呂から上がってくる頃かな。少しでも時間を稼げれば良いのだろうけれど、伊作はお構い無しに聞いてくるだろうなあ。今此処で話さなければ長次を交えての事になるかもしれない。それは嫌だ。

「でも、遠慮している」
「……喧嘩した後ってさ、なかなか上手くいかない事もあると思うんだ」
「僕は何があったのかが聞きたいんだ。二人がぎくしゃくしているのを黙ってみていられる程、僕は大らかではない」

 普段よりもしつこい気がする。何時もなら障らない様に配慮したり、それこそ遠慮がちに聞いて励ましてくれたりする伊作が、今回に限ってとても深入り姿勢を見せてきた。「何で」と問えば「心配だからさ」と返ってくる。六年生最後の年だから。今まであまり喧嘩なんてした事がなかった私と長次だから。私が遠慮してしまう事で長次が可哀想に見えるから。どんな理由だろう。幾つも並べてはみるものの、伊作の視線からは「何で」の理由を探る事は出来なかった。

「秋休みの前に、一度、町に艶本を買いに出たよね」
「……ああ」
「あの時から二人の様子がおかしいと思っていたんだ。その夜も、僕のところに栢丸が泊まりに来た時も、長次が来た」
「……私は言ったよな、何も聞かないでくれって」
「長次に何かされた? それとも、何か言われたの?」
「――っ」

 湯呑みを持つ私の手に伊作の手が添えられる。面は上げられない。上げたら、伊作の目とぶつかる。絶対に上げられない。私は昔から伊作のこういう――問い掛けにとても弱い。嫌な事とか悔しい事とか、隠していても伊作は見抜いて私に吐かせる。昔みたいに優しく問い掛けてくれれば私もそれなりに答えてうやむやに出来たかもしれない。でも、今の伊作は違う。何だか逃げられない気がする。「栢丸」と伊作が私を呼ぶ度に、私は俯いてしまう。何を言えば引いてくれるだろうか。どう話せば納得する。全てを話せば、私が女であると知られてしまう。それだけは避けなければいけない。でも、どうやって――どんな言葉を口にすれば伊作のこの手から逃れられるだろう。

「……長次に聞けば、良いだろ」
「栢丸に聞けって言われた」
「もう良いじゃないか! 後は私の問題なんだ! 長次は何時も通りに私に接してくれている。私の心の整理が着いていないだけなんだ。少しすれば……もう少し時間が経てば、何時もの通りになる。だから――」
「全く……短気で頑固で手が掛かる。もっと僕を頼ってくれたって良いじゃないか!」
「い、伊作」

 添えられていた伊作の手は私の背へと回されて、私は伊作に抱き締められた。互いの夜着一枚を隔てて伝わる熱に、私は息を呑んだ。ぐっと抱き寄せられて、湯呑みの中の茶が揺らぐ。どくんと跳ねた心の音に、私は真っ直ぐ座れているのかそうでないのか分からなくなった。

「あの、さ、伊作」
「……分かった。大丈夫……僕は栢丸の味方だから。長次と二人きりにならない様に、僕が傍に居てあげる」

 それはどういう意味だろうと疑問を口にしようとした時、私の唇は伊作の綺麗に並んだ人差し指と中指、そして薬指に遮られた。そして。

「気不味いのだろう? ……しつこく言って悪かった。ごめん」

 何時もの優しい伊作の相貌が目に入ってきて、私は安堵の息を吐いた。指に触れる湯呑みの固さを改めて感じると、私は先まで震えていたみたいで、指の腹に伝わる感触がとても不安定で気持ち悪かった。何で。どうして。伊作に私は――私の身体は何を感じたのだろう。伊作は私を男として見てくれているというのに、私の身体は女なのだと――伊作は男で私は女なのだと、そう言われた気がした。何も無い筈なのに、一瞬、ほんの少しだけ、怖いと感じた。