懐に常に所持するわけにはいかないだろうなあ。みつね――今は栢丸だけど――の懐をふと見遣って、僕はどうしたものかと頭を悩ませた。一見、何時もと変わらない容姿。でも、実は藤の簪を持っているのかもしれない。自室に置こうにも、留三郎に知られてしまっていると案じるみつねの事だから、懐に忍ばせているのではないかな。みつねの隣で平然を装って僕は朝餉を口にするのだけど、内心冷や冷やしている。留三郎に先を越されない様に、留三郎を常に見張ってはいるけれど、器用な留三郎の事だからみつねの室にあるからくりを一つ一つ解いてまで探すに決まっている。僕としてはまだ栢丸がみつねだと知っている事をみつねに知られたくないから、留三郎の行動を阻止するにはかなり注意が必要になるわけで。さて、と。僕はどうやってみつねからあの藤の簪を奪おうか。難しいな、これは。
「何だ伊作。もう食べないのか」
「食べるよ!」
「小平太、伊作のまで取るんじゃない」
「代わりに栢丸のそれくれるのか?」
「あげるわけないだ――あ、こら、勝手に食うな!」
僕の左隣に居た小平太の箸が僕の目前を通って僕の右隣に居るみつねの卵焼きに伸びる。小平太は両隣真正面左右だけでなく、隣の隣にまで手を伸ばして摘んでは頬張る。沢山食べる割に全く太らない。鍛練していれば太る事は先ずないのだけど、小平太の腹八分は通常の五割か六割益しだ。みつねの卵焼きを掻っ攫って口に放り込むと、口をもぐつかせたまま今度は僕の卵へと箸を向けている。こらこら、僕は食べると言っただろ。
「お前達、相変わらず食べるのが遅いな」
「お前が早過ぎるだけだろ! ちっとは俺達に合わせて食えよ!」
「なあ、留三郎。私と鍛練しないか?」
「俺は、栢丸とする」
「はあ?」
みつねから出た声は「何で、どうして、何を言ってるんだ留三郎」と言っている様なもので、約束したわけではないのだと直ぐに分かった。みつねと目を合わせないように食を進める留三郎は「久々に手合わせしたいなって思ったからだよ。駄目なのか?」と、みつねが断り難いだろう言葉を選んで話を進める。僕達六年生の中で体術と言えばみつねの名――あ、いや、栢丸の名が直ぐに上がる。火薬と言えば仙蔵。縄鏢と言えば僕の目の前で黙々と白米を口にする長次といった具合に、僕達はそれぞれに得意なものがある。正直、女の子なのに体術では僕より上で、力は小平太には及ばないだろうけれど、体力や身のこなしは並ぶ。俊敏さは小平太を上回るんじゃないだろうか。そもそも、体術に握力は然程必要じゃない。ある程度の力は必要だけど、相手の隙を如何に狙い、身体全体の使い方に因って変わってくるものだ。僕達がまだ下級生と呼ばれていた頃にも、とても小柄な先輩が大柄な先輩に対して容易く圧した姿を見た事があった。力任せでは勝てないだろうが、力技を躱す事が出来るみつねだからこそ、技で小平太と並ぶ事が出来ている。それは留三郎も同じだ。留三郎も鉄双節棍では誰よりも扱い慣れている。
「組手、しようぜ」
「……ああ、良いよ」
「留三郎が栢丸とならば、長次。私と裏々々々山まで付き合え」
「俺も栢丸と手合わせする約束だ」
「栢丸は浮気者だな」
「私は小平太の頭が分からんよ。って、そもそも、私は長次と約束なんか――」
「していただろう。共に町に行った時の事を忘れたのか?」
長次の視線は食堂のおばちゃんの美味しい料理に向かれたままだ。だが、僕は見逃さなかった。一瞬。ほんの一瞬だけ、長次が口端に笑みを乗せた。そして、みつねの箸の手が僅かに揺れた。やっぱり、長次とみつねとの間で何かあったんだ。長次はみつねがみつねである事を知っているんじゃないか。
「まさか、伊作も栢丸とだなんて言わないよな」
「僕は約束はしてないけど、そうだな……僕も久々に栢丸と手合わせしたいな。良い?」
短く「ああ」と答えたみつねの面は諦めに似た――でも、一寸苦しそうなものだった。隣で「伊作もかー。私はどうするかな」と呟く小平太に僕は気掛かりだった言葉をぽつりと呟く事にした。
「みつねの簪、何処にあるかな」
「ぶーっ」
僕は小平太の反応が知りたかったんだけど、小平太に気を取られていたのだろうみつねが口にしていた味噌汁を盛大に僕にぶっ掛けた。うん、そうだよね。小平太の方には先ず僕が座っているし、僕が口にした言葉は普通に驚くよね。ごめんね。「ご、ごめん、伊作!」と慌てて袖で僕の顔を拭ってくれるみつねに、僕は苦笑する。でも、自分の袖で拭ってくれるなんて、これ、ある意味役得かなあ。