腹癒せに仙蔵の髪を後ろ背で緩く編み込んで、伊作の髪を梳く。癖のある伊作の髪は仙蔵の髪に比べて少し固いけれど、私の手によく馴染んで気持ち良かった。折角だから伊作の髪も三編みにでもしてやろうと三つ房に分けたところで、私の腰周りに兵太夫が飛び込んで来た。ようやくと帰って来た兵太夫はどこか拗ねた顔をしていて、ぎゅっと私の腰に腕を回して抱き着いてくる。
「兵太夫、夕餉はまだなのでしょう。食べていらっしゃい」
「姉上も着いてきてくれるなら行くよ」
「兵太夫」
「善法寺先輩の髪結ってる暇があるならぼくに構ってくれても良いんじゃない?」
日に日に兵太夫が遠く感じる。ぎゅっと抱き着いてくる兵太夫の顔がどこぞかの作法委員長の様に含む笑みを見せてくるのだから。思わず仙蔵を小睨んでしまう。伊作の髪を可愛らしく三編みにしてやると私は仙蔵と伊作に兵太夫を渡して、兵太夫の夕餉の支度にと立ち上がった。「姉上~」と可愛らしい声を上げても私は頭を一撫でして兵太夫の手を剥がす。姉上っ子な兵太夫が人前でも甘えてくるなんて本当に珍しい――事でもなくなってきている。兵太夫がこんなにも甘えてくるようになったのは仙蔵が家にやってきてからだ。それまでは私の隣にちょこんと座ったり、私の手に自分の手を添えてきたり、上目遣いで控えめに甘えてきたりといったものだったのに。私に抱き着いてきたり、以前も接吻までしてきたり。もしや、兵太夫は作法委員会であまりよろしくない教育を受けているのでは。仙蔵が委員長なのだから、十分に有り得る。何て事だろう。私の可愛い兵太夫が仙蔵の様な男になったら。そう思った瞬間、私は兵太夫を仙蔵に預けてしまった事を後悔した。台所の明かりを一つ二つと灯すと、私はお櫃から炊き冷めた米を器に盛り、盆の上を整えていく。すると、私の背後に気配が現れた。振り向けば。
「あ、その、栢丸」
私の名を呼ぶ声に私は手に持っていた杓文字を顔面へ投げ付けた。米の付いた杓文字を掴み止めた相手をそのままに、私は煮物を別の器に盛る。
「次、その名で呼んだら絞め殺すから」
「わ、悪かった。その、みつね、で良いか?」
「ええ、何ですか留三郎」
お父様の分と兵太夫の分を用意し終えると、私は留三郎へと向き直り微笑んだ。ああ、とっても嬉しそうな顔。何時も乙女の時に見てきたあの笑み満面な留三郎が私に一歩一歩近付いてきた。これは不味い。非常に不味いと思う。私も面に笑みを貼り付けならが、留三郎が一歩踏み出すごとに一歩後退する。後方に逃げ道は無い。長板に沿って後退すると、私は二周した辺りで留三郎に音を上げた。
「た、頼むから、そこで止まって」
「何故、逃げるんだ」
「留三郎が近付いてくるからでしょう!」
止まったかと思いきや行き成り寄って来て、私の手を掴んできた。振り払おうにも執拗に引っ付いて振り払えない。ぶんぶん振り回しても引っ付いてくる留三郎の手。
「俺は、唯、ちゃんと話が、したくて!」
「これが、話が、したい、態度、なの!?」
「そうだよ!」
掴まれている手とは反対の手まで掴まれ、私は留三郎に引き寄せられた。手が離れたと思いきや私の肩や背に留三郎の腕や手が回され、私は留三郎の胸元に押し抱かれてしまった。こうなってしまうと抵抗したところで無駄な体力を消耗するだけ。私はされるがままに留三郎の抱擁を受ける事にした。少しばかり涼しくなり始めた季節には、留三郎の胸は温かく感じるもので、私は深く息を吸ってはゆっくりと盛大に吐いた。
「好きだ、みつね」
「……はあ!?」
「お前が本当に女で良かった」
私は今、何故女に生まれたのだろうと一寸後悔しているのだけど。仙蔵が留三郎達を連れて来なければ良かったのに。そうすれば私はまだ栢丸として留三郎と向かい合う事が出来た。別に留三郎の事が嫌いというわけではない。伊作も、小平太も、皆、私としては好ましい友人なのだから。本当に、男に生まれたかった。そうすれば、この留三郎の抱擁も友としての情けで許せるもの。私の髪に頬摺りしてきても、私の腰に手を這わしても、男なら――男でもこれは許せない。一寸、何処を触ってる、留三郎。私の両の手が留三郎の腕の中に仕舞われているのを良い事に留三郎は私のお尻に手を滑らせて、私の脇に指を添え入れて胸に触れてくる。股間を蹴り飛ばしてやろうか。みつねとして居るからこそ、それだけはしないでいてやろうと思っていたのに。この留三郎という男、私が毎度毎度痛い目に遭わせているというのに懲りないみたい。
「留三郎は好いた女に了承も得ず身体に触れるのか」
「あ、いや、済まん。本当に女なのかと、確かめたくて」
「私が男なら笹山家を生まれから騙している事になるんだが?」
「普段の言葉遣いは栢丸――っ痛、痛たたたたたっ」
「絞め殺すと言ったよな、な?」
留三郎の肩を強く強く抓り上げて、私は留三郎を睨み見上げた。自然と栢丸の口調になってしまう私は、辺りに気配が無い事を確認して一つ息を吐いた。
「離して」
「離したら離れるだろ」
「当たり前でしょう」
「だったら離さない。……俺は、お前が好きなんだ」
迫る留三郎に嫌な予感を覚えた私は、その口元に手を押し当てた。視線は依然と交されたまま。でも、私と留三郎の顔の距離は縮まる。一寸、一寸、何をする気ですか、この人。私は留三郎の事を好きだとも何とも言っていないというのに、合意も取らずに何をしでかす気なの。
「みつね……」
「いやいやいや、一寸、や、待て、待って、待ってって――」
口元に当てていた手を奪われた私は留三郎の股間に足を蹴り上げようとした。けれど、より一層抱き締められて、見下ろされて、私の足はなかなか思うように上がらず。足元のふらつきに気を取られ、私は留三郎に口を塞がれてしまった。柔らかい感触に驚くと、急に入ってきたぬるりとした舌先の冷たさに肩を竦ませた。ぐっと首背を取られて上を向けられて、苦しい。入り込んでくる舌の温もりに思わず喉の奥が熱くなった。嫌だ、嫌だと手で制しても覆される圧倒的な力に、私は首を左右に捻らせた。それでも、留三郎は私から離れてくれなくて。
「っあ――はっ、はぁ」
「みつね……俺は、お前を俺のものにしたいっ」
「と、め……さぶ、ろ、離し――ゃんっ」
再び塞がれた唇は先とは違って優しくて。気付けば足が震えていた。留三郎の唇が私の目元に吸い付いて、器用な指先で撫でられて、私はそこでようやく自分が涙を流していた事に気付いた。
「やばい」
「っ……な、何が」
「お前、可愛過ぎだっ」
ぎゅっと強く抱き締められて、私は留三郎の肩に目元を押し付けられた。耳元で囁かれる留三郎の声はどれも優しくて、でも、触れてくる熱はとても熱くて、力強くて、私は以前に感じた――恐怖を感じた。俯く私に触れる熱。私の唇が名を呼ぼうと開いた瞬間。
「せ、ん――っ」