突然の訪問客――それも各々身分が違う僕達を快く受け入れてくれるみつねの祖父に、僕は器の大きさを知った。藤を模る花簪を手にした者がみつねの夫。その言葉に僕の胸内は舞い上がった。詰まりは僕にも機会があるという事だ。就職活動という名目は僕にとっては序でに過ぎない。僕はみつねの夫に就職したい。そうすれば夫として、みつねを守る事が出来るし、生活も保障される。僕がこんな企みを胸に秘めているだなんて考えもしないだろうなあ。そんなみつねは少し勘違いしている様で、早々に髪を結い直して藤の花簪を挿した。左肩に緩く纏められた髪の留め所に生ける様に挿したその簪は、歩く度に小さな可愛らしい音を立てる。勘違いしていなければ普通仕舞いに行くだろうに。普段、抜け目の無い栢丸――ううん、みつねが見せるちょっとしたお茶目。みつねの祖父――じ様は「大川学園に居る間」と約してくださった。在籍じゃないんだよ。大川学園に居る時なんだよ。そう教えて上げたかったけど、あんまりにも必死になって肌身離さずな姿を見せて僕達を警戒するものだから、つい、ね。誰も言わないところを見ると、僕と同じ様に思ってるんだろうなあとも思うのだけど。
結局のところ、僕達は寛大なみつねのお父上とお母上、そしてじ様に歓迎され、一泊する事にした。気付けば夕日が傾いていた事もあって、帰路に出る事を躊躇われた。まあ、僕達は忍びの見習いだから夜道に怖さも何も無いのだけど。でも、折角、みつねのお母上に「泊まったら?」と勧められたので、僕達は「ありがとうございます」と頷く事にした。そうしたら、みつねの頬が膨らむ膨らむ。実際にはそんなに膨らんではいないのだけど、口を一文字にしてしかめっ面するものだから、一寸おかしくて。可愛らしい反応に僕は後ろを向いて思わず笑ってしまったぐらいだ。
「不機嫌だね」
「当たり前です! わたくしの学園生活を脅かす提案をされたものですからっ」
「恨むなら仙蔵だよ、みつね」
「ええ、そうですね」
夕餉を済ませ一足先に風呂に浸からせて貰った僕はみつねと共に今日の寝床の準備をしていた。六人が並んで寝るには十分広い室。布団を敷いて枕を一つ一つ並べて。まるで子沢山な夫婦気分に浸ってしまいそうになる。女中だって居るだろうに、笹山家はこれが普通なのだろうか。殆んどみつねが切り盛りしてる。まあ、料理とか家事らしい家事は女中がやっていたりするのだろうけど、僕が見える範囲の世話は全てみつねがやってくれていた。
「ねえ、みつね」
「はい?」
布団の皺を伸ばすみつねに手を伸ばす。その髪に挿す簪を奪ったら、どんな反応をするのだろう。僕とみつね以外居ない今の機会を僕は逃すまいと膝を着いた。
「お、おあっ」
「伊作!? ……大丈夫ですか?」
皺が伸びきれていなかったらしく、僕は皺に引っ掛かって前のめりに転げてしまった。格好悪い。仰向けに転がるとみつねが心配そうに――あ、でも直ぐにくすくす笑って僕を見下ろしてきて。そうだよね。こんな格好悪い姿、沢山見て来てるよね。僕も苦笑を零して笑い合った。
「楽しそうだな」
「仙蔵さん」
顔に「不機嫌です」と書いてある仙蔵が風呂から出たばかりの艶めいた髪を拭いながら室に入って来た。「みつね、頼む」と口にする仙蔵はみつねの手前に腰を下ろして手にしていた手拭いを差し出した。渋々とした顔で受け取って、みつねは仙蔵の髪に手拭いを当てる。その何だろう、これ。さも当たり前ですみたいな感じ。
「仙蔵」
「何だ、伊作。羨ましいのか?」
「そうじゃなくて――」
「仙蔵さん。わたくし、怒ってるんですからね」
「何」
僕の言葉を遮って、みつねは仙蔵の髪をがしがしと掻き拭いた。
「なっ、みつね、痛いぞ」
「仙蔵さんが皆さんを連れてきたからっ!」
「わ、悪かった! 私とて、皆を連れて来る気は無かったのだ!」
あの仙蔵が謝ってる。僕は何か不思議なものを見た気がした。確かに、みつねの事を口にする仙蔵は今迄に無い程の想い入れ振りで驚いたものだけど、みつねを前にしてこうも変わるものなのかと、ふと思ってしまう。対するみつねも仙蔵の性格を知っているからかもしれないけれど、仙蔵の「悪かった」という言葉に少し気を好くしたのか、がしがしと掻き拭いていた手を緩めた。一寸、いや、かなり面白くない。
「仕方無いですね。大人しくしててください。そうしたら許しますから」
「髪を結い上げるのはやめてくれ」
「では、今度の休みのお出掛けはお得意の仙子さんで来てくださいね」
「それは――」
「仙子さんで! 来てくださいね!」
「わ、分かった……」
とても嬉しそうな笑み見せて、仙蔵の後ろへ回り丁寧に指で梳き解すみつねの手。あの仙蔵を丸め込む手腕は確かに伏見そのものだけど、仙蔵は気付いていない。本当に、妬ける。よくもまあ僕が居るのに見せ付けてくれるものだ。
「みつね、僕にはやってくれないの?」
「え、伊作も?」
「伊作、お前は――」
「僕の毛は仙蔵と違ってくせっ毛だから一人でやるとなかなか上手くいかなくてね。手伝って貰えると嬉しいんだけど」
「じゃあ、仙蔵さんのが終わったら――」
「みつねがやるくらいなら私がやる。さあ、来い、伊作」
「嫌だよ。男にやって貰って嬉しいわけがないだろう」
僕に伸びてきた仙蔵の手を叩くと僕はにこやかに低い声で言ってやった。あんまりにもみつねと楽しげにしてると僕も仙蔵を苛めるよ。みつねと一緒になって苛めるぞ。腹癒せに何かしようと考えながら、僕はみつねが仙蔵の髪を拭き終わるのを待っていた。