仙蔵の友人として招き入れたとはいえ、やはり家主に挨拶するのが筋というもの。茶を一人一人に出しては、この異様な光景に私は眩暈がしそうになった。何が悲しくて「婿、選り取り見取りだな」なんてお父様に言われなければならないのだろう。何気に爽やかな笑顔。ああ、嬉しいのねお父様。そうね、お父様には私の婚儀に関する権限はお持ちでないものね。「誰なんだ」なんて当人――いや、本当に心に決めた人なんていないのだけど――の目の前で言うものではないと思う。端に座る留三郎の隣だけは座りたくなかったから、その反対の端に居る仙蔵の隣に座して私は荒振りそうになる息を落ち着かせた。後で覚えておけよ、皆。秋休み明けに絶望を見舞ってやるから。
「この中でであれば決まっております。私でしょう。なあ、みつね」
何故、そうも言い切れる。思わず口に出してしまいそうになる言葉を飲み込んで、私は曖昧に笑んで返した。仙蔵の言い分は何となくだが分かる。仙蔵以外――文次郎と留三郎とは町で会った事にしてはあるけれど――初対面な筈なのだから、この中の誰なのだと言われれば以前から付き合いがある仙蔵しか選べない。図ったのだろうか。いや、仙蔵はそもそも皆が私の家に来る事をとても嫌がっていた。逆手に取ろうという魂胆なのか。どちらにしても、お父様に婿候補だと主張しても私とは結婚出来ない。何故なら、笹山家の実権を握っているのはお父様ではないのだから。
「兵太夫です」
兵太夫の声に私はほっと胸を撫で下ろした。私を癒してくれる兵太夫がようやく着てくれた。着替え終えた兵太夫の姿が障子戸越しに見えると、私はこっちへおいでと手招きする。頬を綻ばせて嬉しそうに寄って来た兵太夫の手を握って、私はお父様に向き直った。
「相も変わらず、兵太夫は父である私よりも姉か」
「お父上には先ほどご挨拶を済ませました」
「大川学園では先輩と後輩の仲といえどお客様である事は変わりないのだから、粗相のないようにね兵太夫」
「はい、姉上」
背筋をきちんと伸ばして私に笑顔で元気な返事をする兵太夫がとても愛しい。兵太夫が隣に居てくれれば、私はどんな拷問にも耐えられる。それくらい、私は兵太夫の存在に助けられていた。隣に座る仙蔵や奥に座る留三郎からとても痛々しい視線が私を突き刺してくるのだけど、私は気にしない。だって、兵太夫が居るから。
「何やら賑やかだの」
「お、おじ、おじい様!?」
突然、頭上に降ってきた声に私は前へと飛び退いてしまった。齢五十を往く笹山家の柱。表立ってはお父様にお任せしているけれど、本当の実権を握っているのはこの白髪を後ろに結い上げた笑顔のおじい様だ。
「な、何故、何故、此方に?」
「おう、桃を持ってきたぞ。後で切っておくれ、みつね」
「そうではなくて――」
「私がお呼びしたのだよ、みつね」
「お父様が? 何故、ですか?」
私を忍たまとして大川学園に入学する事を認めてくださったのは――大川学園長であるのだけど――笹山家としては、おじい様だ。おじい様は全てご存知だ。私が六年い組で成績優秀である事も、その私の同室が誰であって、どういう友人がいるという事も、何もかも。そう。笹山家は、表は武家だが内は違う。れっきとした忍びだ。お父様は忍びの術をお持ちでないから、笹山家を守る者として私は忍びになるようにとおじい様に言われ、そして大川学園の門を叩いたのだ。
「それでは父上、後を頼みます。さあ、兵太夫。私と共に氏宮殿のところへご挨拶に向かうぞ」
「え、あ、はい!」
お父様が立ち上がると兵太夫も倣って立ち上がる。唯一の癒しである兵太夫が私に残念そうな面を見せながら私の手から離れてしまって、私はお父様を小睨んだ。「夕餉には間に合うように戻るから案ずるな」と苦笑を零しながら私の頭を二度三度と軽く撫で叩き、お父様は兵太夫を伴って室を後にした。そういう事じゃないのに。兵太夫の小さな背中が見えなくなるとおじい様は先までお父様がお座りになっていたところに落ち着いた。
「私は――」
「良い良い。言わずとも分かる。そなたは立花の倅であろう」
「は、はい」
「仙蔵であったかの。仙蔵の隣は――そう、善法寺伊作と言ったか」
「何故……」
「大川学園に孫娘の成長を度々見に行っていた時に顔と名を覚えさせてもらった。これでも私は忍びの端くれでな」
おじい様は下手な事は仰らない。でも、何か含みがあるようで、油断ならない。案の定、私に「皆の分の桃を切ってきておくれ」と遠回しに席外すよう勧めてきた。嫌な予感がする。私にとってとてもよろしくない事。
「……わたくしにお話があったのではないのですか?」
「初めはそう思っておったが先程気が変わった。何、悪いようにはせんから安心して外しなさい」
はっきりと言われては私も頷く外無い。絶対に何かある。それも私にとってあまり良くない事。過去に何度か身に受けているから分かる。これは絶対に何かあるって。人を動かして高みの見物をするのが趣味なのだから。本当に、食わせ者なおじい様だ。
「わたくしにもお話くださいね! 絶対ですからね!」
「私がみつねに話さなかった事などあったか?」
「まあ、お惚けになって! ええ、ありましたとも!」
存外に勇ましく立ち上がると私はおじい様の顔も見ずに「失礼致します!」と吐き捨てて室を出た。客人を目の前にしてする様では決してない。でも、せずにはいられなかった。何にしても私に協力的なおじい様は好きだけれど、これだけは好きになれない。本当に、趣味が悪過ぎる。一体、何を仕掛けてくるのだろう。分かる事は唯一つ。あの六人を使うだろうという事。それも、栢丸ではなくみつねである時にだ。おじい様ならば卒業に支障をきたす事はならさないだろうし。
「おじい様がその気なら私も容赦しない」
「何年経とうが変わらず短気な孫だの。便りには帰って来るとは書いてなかったのだがまあ良い。好都合だ」
乙女――いや、みつねの祖父か。少し頬を膨らませながら俺の後ろを通って室を出たみつねとは反対に、目前に座すご老人は嬉しそうに笑っている。孫娘を怒らせて嬉しいってどんなだよ。それにしても、可愛かった。怒った顔も嫌いじゃない。むしろ、俺は好きだ。本当に夢じゃないよな、これ。俺、起きてるよな。寝てないよな。これが夢なら幸せな夢だろうけど、起きた瞬間に枕を湿らしてしまうぞ。ようやく俺の願いが天に届いたのか。いや、そもそも栢丸は女だったって話だけどさ。やっぱり、俺ついてるって思っちまう。顔に出てないと良いけど。栢丸がみつねだって気付いてるのは俺だけだよな。仙蔵も文次郎も気付いていたら栢丸を男扱いしないだろうし。小平太も気付けば「お前、栢丸だろう!」と大声出してるだろうし。俺、やっぱりついてるんじゃないか。最近、伊作の不運が移ってきてるかもしれないと心配だったがどうみても俺は幸運だろう。
「私は治鹿(じろく)と言う。皆は私の事をじ様と呼んでくれ」
いや、俺、お爺様と呼ばせていただきたいです。でも、変に勘繰られそうだからじ様と呼ばせていただこう。自分から「じ様と呼んでくれ」ってなかなかお茶目な方だ。それにしても、みつねを外して何を俺達に話そうというのだろうか。みつねはあまり好ましく思っていないようだが。
「うちの孫娘はどうだ? 嫁に欲しいと思わんか?」
思わず唾を呑み違えて、俺は咳き込んでしまった。「大丈夫か」と背中を撫ででくれる長次に「悪いな」と感謝する。欲しい。是非とも欲しい。俺、欲しいです、じ様。だが、口には「欲しいです」だなんて言えない。仙蔵や文次郎の目が光る中、俺がそんな事言おうものなら「お前には乙女がいるだろ」とか言われそうだ。乙女はみつねなんだけどな。みつねが欲しいだなんて言ったら勘の良い仙蔵はきっと乙女がみつねでみつねが栢丸だと察するだろう。それだけは駄目だ。そんな事になれば、同室の仙蔵がみつねに何するか分かったもんじゃない。ぐっと口を引き結んで、俺は気持ちを胸の奥に押し込めた。
「私は以前よりみつねさんをいただきたく此方へ通わせていただいております」
「ああ。そなたの父からもよろしくと聞いておる」
「この者達はみつねさんとは今日初めてお会いしまして」
「仙蔵、お前――」
「それはどうだかの」
「え」
「知らぬ内に言葉一つ二つは交わしておった気がしたが」
朗らかな言葉遣いの中に含まれた何かに俺は焦りを覚えた。
「みつねに土産として持ってきたこの――簪なのだがの」
じ様は徐に懐から取り出した布包みから藤の花を彷彿させる美しい簪を手にした。俺としては――いや、みつねもだろう――みつねが栢丸である事を知られたくない。だが、じ様は違うのではないだろうか。じ様の言葉に俺はじ様の意図を察する。
「これを手にした者にみつねをやろうと思うのだがの、どうだ?」