兵に背を向けて

難関が前途に横たわり、私の生活すら脅かす

 家には帰らないと文を出す事にした。そして、私は食堂で皆に話した通りに仕事に出る、と見せ掛ける。長次達を引き連れた仙蔵の後を追って、私の家で秋休みは帰らないのだという一報を聞かせ、解散した後に家に戻る。これが私の計画。長次は大川学園に戻ってまた家に来るかもしれないけれど、皆が一斉に来るよりかは益しな筈。若しくは本当に私が仕事をしていると思って町に出向くかもしれない。本当に秋休みは戻らずに駄賃稼ぎの仕事を入れようか。帰った方が良いだろうか。兎も角、家には帰らないという内容の文を出した。





 そして、秋休みがやってきた。
 秋休み明けにと口々に私の室へ挨拶をしに来る小平太達は、仙蔵の腰が上がると共に去って行った。先迄五月蝿かった室も、一人で居ては寂しく感じるもので、私は小さく息を着くと立ち上がる。

「まだ居たのか」
「長次……」

 戸より顔だけ覗かせた長次の頭を見上げる。私が出るのを待っていたのだろうか。やはり、仙蔵達よりも先に出た方が怪しまれなかったかもしれない。しくじってしまっただろうかと嫌な汗が掌にじわりと浮いて、私は長次を小睨みながら室を出た。

「何を隠している」
「別に、何も。仙蔵達が待っているんじゃないか? 残されてしまうぞ?」
「俺としてはこのまま栢丸と共に居ても良いんだが」
「秋休み中、一緒に?」
「ああ」
「それはご免蒙る」

 一言吐いて、私は足早に長屋を出た。後ろから長次が着いて来るけれど、私は門前の仙蔵達に手を上げて二度目の挨拶を交すと、小松田さんの筆を取って名を綴る。伏見栢丸――と書いて、私は振り向きもせずに駆け出した。長次にこれ以上着かれては困る。一応、家の方向へと走って、身を隠し易い草木の中へ忍ぶ。
 暫し待てば仙蔵達の足音が聞こえてきた。少し独特な足音。だが、一般人と変わり無いだろうと思わせる足音に、私は息をゆっくり殺す。勘の良い小平太が居るので、迂闊には近付けない。一定の距離を保ちつつ、且つ、忍ぶに最適な場所へと転々と身を移して行った。長次も輪の中に居る。これならば、私の計画通りに上手くいきそうだ。気が乗らないのだろう伊作の背中が少し項垂れて見える。頑なに断れば良いものを、伊作は「まあ、暇だから良いか」だなんて。一番、とばっちりを受けてしまっただろう伊作に、決して聴こえない「ごめん」の一言を呟いた。





 道中の茶屋で一服している隙に私は女物に着替える事にした。このまま私の家に行く事を忘れて各々の家へ帰ってくれれば良いのに。だなんて心内に思うものの、やはり忘れずに一同は私の家の方へ足を向ける。先よりも少し動き難いけれど、支障は無い。私は家迄、皆に気付かれる事も無く背を見続ける事が出来た。
 門前の家人に言伝える仙蔵の背。一人の家人が門の奥へ姿を消すと、長次が私が潜んでいる方へと振り向いてきた。知られているのだろうか。痛み早鳴る鼓動に私は息遣いを整えた。まだ気付かれてはいない筈。長次の振り向いた方には私の外に留三郎が居たから。恐らく、留三郎に話し掛けているのだろう。長次の唇が微かに動いている。留三郎はというと、伊作と並んで門を上から下へと視線を這わせている。小平太も背を向けた長次と並んで門の奥へと首を動かしていた。それもその筈。初めて来る場所を珍しく思うならば当たり前の動作だ。
 家人の一人が戻って来た。仙蔵に私が帰って来ないという事を伝えているのだろう。少し俯く仙蔵の背にちくりと胸内が痛み出す。みつねとして会うようになってから私は仙蔵に弱くなった気がする。一番の原因は文の読み忘れで仙蔵を傷付けてしまった事だが、栢丸である私のままであれば此処まで仙蔵に優しくしようなどと思わなかっただろう。仙蔵の意外な一面を見てしまったからかもしれない。「そうか」と呟く仙蔵の残念そうな声が聴こえてきそうで、私は一寸目を伏せてしまった。
 門前から離れ、輪を描いては話し合う皆。早く私の家から離れて帰ってくれないかなあと胸内が急かす。長次が何時も以上に口を動かしているのが気に掛かるけれど、忍んでいるこの場所に居るのが少々辛く思えてきた。着物が土に汚れてしまわないように気を付けているのだけど、足場が少し悪いので気配を殺しながら身を正すのが億劫に思えてくる。

「じゃあな」
「秋休み明けになー」

 二方向に別れ手を振り合う皆の姿に、私は安堵の息を細く吐き出した。仙蔵、長次、文次郎は奥の道を。伊作、留三郎、小平太は来た道を戻って行く。良かった、本当に良かった。姿が消えた事を確認して、私は研ぎ澄ましていた目や耳への意識を緩めた。だけど、まだ油断は出来ない。戻って来る事もあるだろうから。もう少しだけ待って――そうだ、折角だから兵太夫が帰って来る頃を見計らって出よう。兵太夫と一緒に家の者達に「只今」と言うのも良い。大川学園で共に過ごす事が出来ないのだから、せめて帰りは一緒に家に着きたい。

「あ、兵太夫」

 兵太夫の姿を見付けて、私は腰を上げた。土や草が着物に付かないように注意しながら出でると、私の姿を見付けた兵太夫が笑顔で駆け寄ってきた。

「姉上ー!」
「兵太夫、一緒に帰りましょう」
「もう直ぐそこだけどねー」

 ぎゅっと私の腰回りに抱き着いて見上げてくる兵太夫の少し意地悪そうな、でも可愛らしい顔に小さく笑う。秋休みは家でゆっくり出来そうだ。兵太夫の手を取って、私は門へと歩んだ。

「みつね」

 私の背に掛かる声に、兵太夫が振り向いて「あっ」と声を上げた。突如沸いた嫌な予感に私は振り向けないでいる。この声は紛れも無くあれの声で、私の名を熱込めて呼ぶのもあれしかいない。最初、一つしかなかった気配が急に六つに増えると、私は兵太夫の手を握って地へと項垂れた。観念するしかない。私は一息吐くと、私の策を読み切ったであろう者達にゆっくりと振り向き微笑んだ。

「仙蔵さん、お早いですね」