える足

咄嗟に浮かんだ名に私は縋り付こうとした

 艶やかな花が描かれた衝立の奥に見える、一つの衾。私の足は動かなかった。否、動けなかった。煮え切らした長次の大きな手が私の肩を抱いて、室へと入る。入って、しまった。出口は無い。何時もなら、そこかしこにあると分かるというのに、今の私には見当たらなかった。
 喉の奥が潰れたかの様に、息吐くのも苦しいとさえ思う。喉が、唇が、とても泣きたいと震えているというのに、私の目元には涙が浮かばない。でも、痛むのは喉だけじゃなくて、じくじくと気持ちの悪い痛みが私の胸に広がっていく。

「長次っ」
「此処で話を聞く」

 逃げるなと制する長次の手が私の肩を抱いたままだ。空いている手で私の手首を掴んでは衝立の奥へと引く。嫌だ。長次と、こんな――したくない。長次は、友人なのだから、友人のままで居たい、だから、したくない。長次の手が、声が、目が、どれもが怖いと感じた。タカ丸に迫られた時に感じた恐怖と、兵助に動きを奪われた時に感じた恐怖。あの時以上の恐怖が、今、私を覆っている。先へ行く事を拒むと、長次の腕の中に引き寄せられ、頭上から降る長次の低い声に、思わず首を窄めてしまった。

「みつね」

 耳元を掠める長次の息。耳の縁に生暖かい何かが触れて、私は小さく声を上げてしまった。怖くて、息吐く暇も無くて、喉の奥から泣き声を出してしまいそうになる。

「せんぞっ」

 そうだ、仙蔵。仙蔵、長次が怖い。仙蔵、仙蔵。何時も私の近くに居て、私を助けてくれる仙蔵。仙蔵の背に縋り付きたい。仙蔵の声が聞きたい。仙蔵の拳で小突かれて、何事も無いと、安心させて。仙蔵。仙蔵っ。
 私の頬に触れるのは仙蔵の手じゃない。長次の手。目元を親指の腹でぐっと拭われて、私はその時になって自分が泣いていた事に気付いた。長次の目が先とは違って、とても穏やかに見える。不思議と、先よりは怖いと、感じなかった。

「女に泣かれたのは初めてだ……」

 近付く長次の顔を避けるように、ふいっと顔を下へ背けると、首背を取られて面が上がる。唇に長次のそれが触れると、ぬるりと生暖かいものが入ってきた。絡んでくる舌先に息が上がり、指先や足が痺れてくる。足の感覚が不安定で、立っているのか、足に力が入っているのか、分からなかった。長次の唇が離れた途端、私は衾の上に座っていた。足に力が入らない。息も、走ったわけでもないのに荒くなっている。

「俺が何故、女を抱いてばかりいるか、分かるか」

 膝を着いて私に覆い被さってくる長次は、淡々と言葉を口にする。分かるわけが無い。唯、女が好きなだけ。情事する事で快感を得たいだけ。私にはそうとしか思えなかった。

「俺は、俺を本気にさせる女を探している。交わる事でじゃない。俺の心を惹く女を」

 長次の手が私の肩を押さえ、倒す。背に柔らかい感触。腰帯が解かれたと気付いた時には、私の目前に長次の顔があった。

「みつねを抱けば、何か得られそうな気がするんだ。俺に抱かれてくれ」
「わ、私は、武家の――」
「武家の娘と云えど、忍たまとして入学したのだろう。女だと知られれば、このような事になるかもしれないと、そう、分かった上で入ってきたんじゃないのか?」
「そ、れは……」
「事情は知らないが、親もそれを承知の上で通わせているのだろう。違うか?」

 長次の言葉に、否と口に出来ない。私が忍たまとして大川学園に通う事を許したのは祖父であり、父も母も祖父の言葉には何一つ逆らえない。そして、その祖父が私が男として学園に通う事に全ての責任を持つと、学園長先生と約したのだ。女だと知られてしまう危険性は大いにある事を分かった上で、祖父は私の背を押してくれた。という事は。

「今迄に結婚の話は出たか?」
「……長次、私は――」
「安心しろ。痛くはしない」