れた唇に

言ってはならない想いと止められなかった想い

 栢丸先輩が私を拒むのは栢丸先輩が女の子だから。私はそれを知っている。一年と数ヶ月、栢丸先輩をずっと見ていた私は誰よりも栢丸先輩の事を理解していたと思う。だって、皆、栢丸先輩が女の子だなんて気付いていないんだもの。
 私は一目見た時から分かった。だって、栢丸先輩って可愛いんだもの。人と話す時の表情は本当に男性のもので、時々、本当は男の人なのかなって思ったりもしたわ。でも、一人で本を読んでいる時とか、時折、忍たまの学び舎の屋根上で一人月見している姿はとても綺麗で、初めの頃はこんな綺麗な人になりたいなって思っていた。尊敬の的だったのよ、栢丸先輩は。勇気を持って話掛けてみると、とっても優しくて。頭を撫でてくれるしなやかな手も、微笑を乗せる栢丸先輩の頬や口も、どれもが可愛く思えて、もっと近付きたいって思った。もっともっと、私を可愛がって欲しいって思った。他の子が栢丸先輩を男の人として懸想するものだから、栢丸先輩は一線引こうとして遠ざかっていた。けど、私は違う。私は栢丸先輩が女の子だって知っていたから、栢丸先輩は私だけ許してくれていた。

「栢丸先輩、私、嬉しいです」

 私の望みを叶えてくれた。女の子だから、望んじゃ駄目だって何度も何度も胸内を閉じ込めようとしていたけれど、でも、何れ誰かと接吻するのなら栢丸先輩が良いって思ったから、必死になってお願いした。私の想いが伝わるように。栢丸先輩は女の子だから、きっと男の人が好きなのかもしれない。でも、今は男の子。だから、私は栢丸先輩の立ち位置を良い事に利用して迫った。頬にしてくれただけでもすごく嬉しかったんだけどね。
 うっとりしてしまう優しい口付け。これ以上は望めないとしても、私は今日のこの一時を生涯大切にしていきたいと思う。私の恋は決して結ばれない。でも、良いの。今だけでも、栢丸先輩が私を見てくれているから。栢丸先輩の瞳の中に私の姿を見つける事が出来たから。

「ユキ……そうか。それは良かったよ」

 悲しい顔で綺麗に微笑む栢丸先輩。私の我侭を聞いてくれた優しい先輩。もう、困らせたりしませんから。これからは今まで通りに栢丸先輩の可愛い後輩で居ますから。だから。

「約束、ちゃんと守りますね!」

 栢丸先輩に笑って欲しい。優しい笑顔で、私を見て欲しい。私は栢丸先輩の腕の中から離れると、笑顔を見せた。ほっとしたような栢丸先輩の顔。胸がずきずきと痛むけど、私は栢丸先輩に背を向けて走り出した。
 もう、我侭は言いませんから。大好きでした、栢丸先輩。ずっとずっと、大好きでした。





 くノたまの子から漏れた小さな声に、俺は苛立ちを覚えた。俺は唯、伏見先輩の姿を追っていただけだった。伏見先輩とくノたまの口吸う様を見に来たわけじゃない。見たくもなかった。俺は伏見先輩――伏見栢丸という男を恋慕っている。
 装束から伸びる腕や首筋は絹豆腐の如く白く、見ているだけで欲情してしまう。俺の心内を知られまいと何気無さを装ってきたけど、俺は我慢の限界だった。あのしなやかな指先が俺じゃない他の女の前髪に触れ、柔らかそうな唇が他の女を惑わすだなんて、許せる筈が無い。
 どうしたら俺を見てくれるだろうか。何度と思った。何度と考えた。でも、俺の結論はどうしても悪いものばかりで、何一つ行動に起こす事が出来ないでいる。煙硝蔵に呼び出して、強引に組み敷いて遣ってしまおうとか。そんな事ばかり考えてしまう。一度、犯してしまえば、俺だけを見てくれるだろう。それが憎しみだったとしても、伏見先輩が俺だけを見てくれるのなら、良いかなと思った。でも、そんな事出来る筈がない。相手は俺よりも華奢で背が低いと云えど、六年生だ。八左ヱ門を負かした事のある伏見先輩が相手なのだから、そう簡単には組み敷かれてくれないだろう。

「兵助、出て来い。そこに居るのは分かってるから」

 突然の事に、俺は息を呑んだまま動けなかった。隠れていたのに、気付かれていないと思っていたのに、気付かれていた。俺が動けないままでいると痺れを切らしたのか、伏見先輩の方から俺の方へと近付いてきた。ひょいと顔を覗かせ見下ろしてくる伏見先輩はやはり綺麗だ。女の人のような綺麗さ。鳴く時はどのように鳴くのだろう。そんなふしだらな考えが浮かんでしまう。

「覗き見だなんて、意外と趣味が悪いな。兵助」
「その、偶々……」
「そうか。偶々か」

 不審だなと思われてるのだろうか。伏見先輩の視線がとても痛い。俺は地に着けていた膝を上げ立つと、土を払った。今は伏見先輩の視線をまともに見れない。見ていると、何か下手な事を言ってしまいそうだ。

「ユキの事が好きなのか?」
「……え」

 何か勘違いされている。俺が好きなのは伏見先輩、貴方です。そもそも、さっきのくノたまが誰だったのか俺は知らない。

「悪いな。実習の相手をと頼まれたものだから、応えてしまった」
「それが、どうかしたんですか」

 存外、低い声を出してしまった。少しばかり瞠目した伏見先輩が可愛い。でも、俺は苛立っていた。だってそうだろ。俺が好きなのは伏見先輩だ。伏見先輩が俺の気持ちを知らないからさっきのような事を言ったのだろうけど、伏見先輩はあのくノたまが好きなんだ。俺よりも、男の俺よりも、やはり女のくノたまの方が。そうでなければ、伏見先輩はあのくノたまに優しい顔なんてしない。俺に言い訳なんてしない。

「俺は、あんなくノたまが好きなんじゃありません。そもそも、あのくノたまが何という名なのかも知らない」
「そうか」

 伏見先輩の声はとても中性的で、俺の耳奥を擽ってくる。透き通る声。男にこんな事を言うのは可笑しいけれど、澄んだ鈴の音。それが伏見先輩の声だ。俺は媚薬を盛られたかのように、伏見先輩の声に感じてしまう。何て可愛らしい唇をしているのだろう。俺の欲を誘う伏見先輩の唇。俺も伏見先輩の唇に吸い付きたい。食らい付いて、喘ぎ息継ぐ様を見たい。

「兵助……何に怒ってる?」
「別に怒ってなんか――」
「表情に出なくても、お前は声に出るから分かるんだよ。言ってみろ。何に怒ってるんだ?」

 全て、見透かされている。俺の気持ちも見透かされてるのだろうか。思わず、顔が熱くなった。夏が置き去りにした暑さじゃない。俺に向けられた伏見先輩の目元がとても優しいからだ。好きで好きで、好き過ぎて、俺は拭えない苛立ちをそのままに伏見先輩へとぶつけた。

「兵、助」
「俺は……貴方が好きなんです」

 今まで俺は上手に隠してこれていたんだろう。伏見先輩の綺麗な目が揺れていた。掴んだ両肩はびくっと跳ねて、男にしては本当に細く感じられた。近くの幹に押し付けて、俺は抵抗に入る伏見先輩の手首を辛うじて受け止めた。あと一瞬遅ければ、俺の視界から消えていただろう。

「兵助、お前――」
「男色だと罵られても良い。俺はもう、自分の感情を殺す事が出来そうにありませんから」
「ま――ッ」

 くノたまに優しく触れていた唇。丁寧に絡め誘っていた舌先。俺に向けられた双眸は慈しみの欠片すら無いものだった。何度と願い夢見た光景が現実となった今、俺は力の限り伏見先輩を押さえ付けて口吸う。息継ぎなんてさせない。優しくだなんて、絶対に出来ない。俺と伏見先輩の唾液が混じる音が俺の欲を大きくさせた。
 もしも、伏見先輩が女であれば、俺は此処まで攻めただろうか。もっと優しく扱っていたかもしれない。伏見先輩が男だから、俺に抵抗する術を持っているから、俺は伏見先輩を押さえ付けて――嫌われてでも伏見先輩をものにしようとするのだろう。

「っあ……っ……はあ、へぃ、すけ」
「それ、艶っぽいな……俺の前でだけにしてくださいよ」