結局、文次郎との女装対決は俺の敗北に終わった。だって、仕方が無いだろう。乙女が危ないだなんて仙蔵に言われたら、俺は迷わず乙女の貞操を守りに行く。文次郎に勝つ事よりも、乙女の方が大事なのは当たり前の事だ。
俺の崩れた留子顔を元に戻してくれたのは栢丸だった。細い筆で丁寧に俺の顔に化粧を施す栢丸の表情はとても艶やかで、思わず女物の長衣の上から股間を抑えてしまったものだ。「厠へ行きたいのか?」だなんて言われたが、普通、気付くだろう。栢丸も男なんだから。俺の気持ちを知っていながらさらりと受け流す栢丸を何度と乙女に重ね見てしまう。本当に、栢丸が女だったら良いのになあ。
「何見てる」
「なっ、何でもねえよ」
風呂上りの寝間着という出で立ちで片手に酒を持ち、俺を魅了する栢丸は目を細めて小睨んできた。髪がまだしっとりとしている栢丸は実に艶めいている。欲情するなという方が難しい。酒に濡れる薄桃色の唇に吸い付きてえ。俺にはやっぱり栢丸が乙女に見えて仕方がねえ。
斉藤に付けられた鬱血の痕が憎らしいが、小首傾げ伸びる首筋から視線を下に辿れば形の良い鎖骨が露わになっている。視線を落し長い睫が影を作る様は、俺を誘っているようにしか見えない。治まっていた筈の俺の下半身がまた疼きだしてきた。もう、これは駄目だろう。俺、ちょっと厠行って抜いて来よう。駄目だ、我慢出来ねえ。
「済まん、伊作。そこ通してくれ」
「何だ、厠か?」
「あ、ああ」
前屈みになってしまうのは仕方が無い。頼む、伊作、そんな冷めた目で見ないでくれ。黙っていてくれ。
俺は足早に室を出て、厠へ急いだ。乙女、待っていてくれ。今、行くからな。好かせてやるからな。
「……不愉快だ」
ぽつりと呟いた栢丸の声に交じる嫌悪に、私は振り返った。私は留三郎の気持ちがよく分かる。酒に強いとは云え、仄かに頬を朱染めする栢丸は女そのものだ。少しばかり拗ねる唇が可愛らしく思う。吸い付いたら美味そうだな。
「なあ、栢丸」
「何だ、小平太」
「口吸っても良いか?」
男だとは分かっている。だが、栢丸であれば美味そうに見えるのだ。眉間を寄せ青褪めて往く栢丸の顔が見ていて楽しい。肩に流れる髪を一房取ってやると、私の額に栢丸の手が置かれた。
「熱でもあるのか?」
「熱なんか無いぞ」
「お前、おかしい……伊作、小平太が何かおかし――い゛!?」
手首、腕、首、どれも細くて女のようだ。女みたいだなと口にすれば殴られるから、一応黙っておく。腕を掴み引いてぎゅっと私の腕の中に閉じ込めてみた。今まで抱いてきた女とは少し違う。でも、男とは思えない柔らかさもある。これは何なんだろうな。夢かな。私、結構、酒呑んだからなあ。幻覚かもしれん。
「こ、小平太」
「なあ、抱いて良いか?」
「お前までそんな事言わないでくれよ……」
暑い。けど、心地好い。伊作の手が邪魔してきた。あと少しだけ、このままで。居たい。
「……本当に、小平太は酒に弱いな。ありがとう、伊作」
「まだまだ子供だな」
「寝ちまったのか?」
「ああ」
だからあれ程ゆっくり飲めと言ったのに。小平太の抱擁から脱した栢丸に酒を注いでやると、俺は戸の外より見える月を見上げた。今日はやけに明るい。あいつも同じ月を見ているだろうか。
「暑苦しいな」
「団扇で煽げよ」
「ああ、文次郎。ありがとう」
傍にあった団扇を渡すと、ぐったり気味の栢丸が首へと扇ぐ。俺にも少しばかり風が送られてきた。これは良いな。にしても、こいつ、似てるよな。
「何だ、人の顔をまじまじ見やがって。まさか、お前まで――」
「俺をあいつと一緒にすんな。俺は……慕う奴が、居る」
「初耳だな」
「ああ、そうか。あの時、お前は居なかったからな」
五年生の頃に町の手前で出会った娘。鼻緒が切れて困っていた様子だったから声を掛けてやった。紐屋迄連れて行ってやろうとしたのに、頑なに拒んできやがって。人の好意を素直に受け取らなかった女。今頃、何をしているのだろうか。もう既に人のもんになっちまってるんだろうか。もう一度で良いから会いたいと何度と町へ出てはいるものの、なかなか会えない俺の想い人。
そう。あいつの後ろ姿がちょうど栢丸と重なる。
「やはりな。文次郎はまともだった」
「ああ?」
「気にしないでくれ」
「そうかよ」
胃に落ちる熱いもの。俺は酒をゆっくり飲みながら、また月を見上げた。
「月見酒も良いもんだな」
「ああ」
昔から忍びの三禁に煩かった文次郎が最近静かだなと思いきや、想い人がいたからだったのか。文次郎の想い人は町娘。どのような女子なのか気になる。気の弱い女では無い事は確かだろう。軟弱なものを嫌う文次郎の性格からしてみれば、むしろ年上で姉御肌な女子ではないだろうか。口にして問えば嫌な顔をして怒り出すだろうから、此処は黙って考えてみる事にする。
「栢丸、一寸来い」
「げ」
「げ、とは何だ。お前も俺に協力しろ」
折角、文次郎の想い人とはどのような娘か考えていたというのに、私の思考を仙蔵が遮って来た。手招きされる先には行きたくない。何故なら、長次が居るから。それにしても、今日の仙蔵はまた一段と艶めいて見える。遠くから見れば絶対に女に見えただろう。長次が並んで座っているものだから余計、仙蔵が華奢に見える。実際はそんなに華奢じゃないんだけど。
「で、何だよ」
「一つ策を考えた」
「策……?」
「文の受け渡しが出来る場所を確保するのだ」
聞かない訳にはいかなそうな話だったので、親身に仙蔵の言葉に耳を傾けた。詰まりは、笹山家経由でみつねに接触し、文の受け渡し場所を設けて文通を促すのだとか。
「仙蔵、頭弱くなったな」
「俺もそう思う」
然り然りと頷く長次に私は酒を注いでやる。本当に仙蔵は頭が弱くなったと思う。催眠剤を盛って家に忍んでは鬱血の痕を残したという手立ては恐ろしくも感じたが、仙蔵の口から聞く策はどれも幼稚なものばかりに思えた。仙蔵らしくもない。それだけ焦っているという事なのだろうか。
「あのな、仙蔵。文の受け渡し場所なんぞ設けたら、余計に怪しまれてしまう。お前、酒飲み過ぎてないか?」
「暴かない事を条件にしてでも、間接的にも繋がっていたいのだ。俺は一刻も早くみつねをものにしたい」
あ、嫌な予感がする。長次が口を開いた。絶対に何か言う。危ない事を言う。私は咄嗟に長次の口へと煮付けられた昆布を放り込んでやった。女を落す極意とか、駆け引きとか、知恵を仙蔵に与えられては困るのだから。私は酒を一気に飲み干すと、仙蔵へ向き直った。
「ものにしたいと言うが……みつねの気持ちはどうなんだ。他に好きな男でも居るかもしれないだろう」
「それはない」
え、即答ですか。その自信は一体何処から出てくるのだろうか。みつねである私は正直、仙蔵に恋なんてしていない。勿論、どの誰にも。そこは仙蔵の言う通りではあるけれど、今直ぐにでも言ってやりたい。好きな男が居ないと云えど、仙蔵を好きになるかは別問題だと。私を落せるとでも思っているのだろうか、この男は。
「みつねは私が知る女の中でも類見ない反応をしたのだ」
「た、類見ない反応って、何」
「私の顔を見て真正面から微笑んだ……他の女はいつも私の顔を見れば真っ赤になって顔を背けるというのにな」
仙蔵に恋していない女の子であれば皆出来るものだと思うのは私だけだろうか。山本シナ先生とか食堂のおばちゃんにだって真正面から微笑まれた事あるだろうに。類見ない反応をしてしまったが為に私は目を付けられるようになったのかと思うと、仙蔵はとんでもなく面倒な男なのではと、ふと口に出してしまいそうになる。
「だからって、ものにしたい発言は如何なものかと。それに、出会ってまだ間も無いのだろう?」
「恋愛に日数は関係無い」
恰好良い事を言っているようだけど、私からしてみればもっと時間を掛けて欲しいと思う。タカ丸のように、昨日、今日であのような事をされたら、私なら嫌いになる。既にタカ丸については嫌いになったくらいだ。
「身体重ねれば好きになるもんでもないんだぞ」
「仙蔵。落す技術なら幾らでもある」
一寸、長次さん、何て事を。仙蔵の肩に手を置き含みを帯びた微笑を溢す長次に、私は心の中で叫んだ。頼むから仙蔵の肩を持たないで。私の平穏を脅かさないで欲しい。仙蔵も羨望の眼差しで長次を見るな。
「せ、仙蔵。私、思うんだが、みつねという娘は正体を見破られたくないのではないか? 見破ってしまったら、仙蔵の事、好きでは無くなってしまうかもしれないぞ?」
「見破る事が出来れば、みつねは私に接吻を約束した」
してない。してない。勝手に兵太夫が接吻を約束にしただけなのに、仙蔵にまでするだなんて言ってない。まだ、そんな風に思っていたのか、この男。何、徐に自分の唇に触れて頬を染めてる。私は口にするだなんて言っていないし、仙蔵にする気は全く以って無い。こんな仙蔵は嫌だ。女に振り回されている仙蔵は、もはや仙蔵ではない。女を振り回す、あの余裕で冷静な仙蔵に戻って欲しい。あまりの気持ち悪さに、私は脱力した。もう、何も言うまい。