り食うべからず

凄まじい形相の留子が殴り込んで来るまで後僅か

「暑い、重い」
「気のせい、気のせい」

 昨日、火薬委員会に所属した私は土井先生と兵助の集中攻撃により火薬委員長の座に押し遣られた。火薬については同室の仙蔵のお蔭か成績は高評価なので、管理もそつ無く行えるだろうと有無を言う暇を与えて貰えずに決められてしまった。
 ともなると、一番に喜んだのは兵助――かと思いきや、そうではなく。私の背中にぴっとりと引っ付いているこの――斉藤タカ丸が大いに喜んでくれた。晒布を巻いているとは云え、胸元の直ぐ下に腕を回し抱き締めてくるので、胸が少しばかり強調されてしまうのではないかと気が気じゃない。何故なら。

「とうとう、お前に男が出来たか」
「違う!」
「栢丸君は俺の彼女だよ?」
「私は男だと何度言えば――」
「淑やかさの欠片も無い彼女だな」
「……楽しんでないか、仙蔵」
「まあ、それなりにはな」

 文机に向かって書物を広げる私の背に引っ付く斉藤を端から眺めるのは仙蔵だったから。唯でさえみつねである事を気付かれまいかと案じているというのに、私の内情を知る斉藤が仙蔵を目の前にしてこのような事ばかりする。幸いなのか不幸なのかよく分からないが、仙蔵の目からは私が両刀に見えたらしい。いや、これは幸いでは決してないと思う。

「……斉藤、十数えるうちに離れないと、その頬の痣を広げてやるからな」
「立花君、今日は人探ししないの?」

 無視した。私の脅しを無視した。思わず、私の肩に顎を乗せる斉藤を睨み遣ると、仙蔵へ普段のにへらっとした笑顔を向けている。私の殺気すら無視する気だこの男。

「ああ、今日は策を練る事にした。兵太夫が何やら動き始めたみたいだからな。私もそろそろ本腰入れんと」
「そうなんだあ。大変だね」
「まあな」

 あれ程、用意周到に動き回っていたというのに本腰じゃなかったんだ。兵太夫が動き出したという事が気になるけれど、それよりも私は何気無く仙蔵に接する斉藤が気になった。髪に頬を埋める斉藤の口からは際どい言葉が時折、仙蔵へ放たれる。

「俺、一度だけみつねちゃんに会った事あるんだよ」
「何処でだ!?」

 ずずいと顔を寄せてきた仙蔵の目が本気で、私は思わず顔を広げていた書へ逃がした。斉藤の言葉を止める事が出来ない。止めれば仙蔵に怒られるだろうし、訝しがられるだろう。怖い、怖い。斉藤に気付かれてしまっただけでも嫌だというのに、仙蔵にまで知られたくない。仙蔵に知られれば何されるか本当に分からない。私の知らないところで私の身体に痕を付ける男なのだ。私がみつねであると知れば、仙蔵は――何をするんだろう。本当に分からない。知りたくもない。
 腹に巻かれたままの斉藤の左腕が力を入れてきた。私は思わず「うっ」と呻る。胡坐掻く私の太腿に斉藤の右手が置かれ、擦られる。これ、女の子にする事じゃないよね。それも内太腿を擦ってる。片手で抓り上げると直ぐに引っ込んだけど、懲りない性格を全面に出してきたのか、私の袴の裾から手を入れてきた。

「さ、斉藤!」
「俺の家で会ったんだ。可愛かったなあ。にこっと笑った顔とか、堪らないよね」
「そうか。確か、斉藤の家は髪結い所だったな」

 まさか、髪結い所に顔出しに行く気なのだろうか。斉藤屋になんか二度と行かない。絶対に行かない。私はそう腹に決めると、尚も入り込んで来る斉藤の手首を掴み力を込めた。仙蔵と話しながら私をおちょくる斉藤に苛立つ。一回りも大きい斉藤の身体がとても憎らしく思えた。四年生で忍びの伊呂波も知らないくせに。

「みつねちゃんってさ、耳の背から項に掛けてが弱いんだよね。こう――」
「ひゃっ!?」

 生暖かい何かが私の項に這って来た。斉藤の舌先だと知ると、私は我慢ならず立ち上がり斉藤を蹴倒した。仙蔵の目が私と斉藤を交互に見遣っているがこの際、気にしない。仙蔵よりも今は斉藤だ。この男、絶対に楽しんでやっているに違いない。私が仙蔵に知られたくないのを良い事に、遊んでいるのだ。もう我慢ならない。凹殴りにする。

「まあ、待て、栢丸。私は斉藤からもう少し情報を得たい。血沙汰事はその後にしてくれ」
「……仙蔵、今の見て何も思わなかったのか?お前の想い人とやらに斉藤は舌でぺろりだぞ!」

 自分で言ってみるととても気持ちの悪いものだった。いやいや、でも、此処で仙蔵を味方に付けられれば、斉藤を凹殴りに出来る。火薬で吹っ飛ばしてやろうか。私の腰回りに泣き付いて来る斉藤がとても鬱陶しい。
 仙蔵の導火線に火を付けられたのか、懐から何か出そうとしている。

「違うよー! みつねちゃんには息吹き掛けただけで、他は何もしてないよ! それに俺が好きなのは君だよ?」
「黙れ! 放せ! 引っ付くなー! 暑苦しいっ!」
「斉藤」

 仙蔵の斉藤を呼ぶ声が少し低く感じた。斉藤を私から引っぺがして室の外にぽいっと捨てて欲しいと、私は仙蔵に願う。私よりも図体の大きい斉藤はやっぱり男の子で、身体全体で攻められるとなかなか動いてくれない。急所でも蹴ってしまおうかとも思った。でも、男が男の急所を狙うというのは、反則行為だ。仙蔵の手前、私は男なので斉藤とは拳でぶつかり合うべきだと思う私は斉藤の身体を未だに引っぺがす事が出来ないでいる。

「礼を言う。良い事を思い付いた」
「お、おい、仙蔵」
「邪魔したな。私は夜に戻ってくる。それまでは好きにして良いぞ」
「本当!?」
「せ、仙蔵!?」
「じゃあな」

 風通りを良くする為に開け放していた戸を律儀に閉め、去って行く。仙蔵に少し――否、かなりの期待を抱いていた私は、斉藤のにへらっと見上げてくる笑顔を呆然と受け止めてしまった。

「好きにして良いって」
「斉藤……」
「タカ丸って呼んでよ」
「誰が言う――な゛っ」

 袴の紐を口に咥え引き解く斉藤に、私は言葉を失った。さらりと音を立てて畳の上に落ちる袴。斉藤の触れてくる手がとても熱く感じた。

「昨日から気になってたんだよねー。褌までしてるの?」
「ななななな何、してっ」
「胸とか、きつくない?」
「どこ触って――」
「俺も男の子だから、好きな子の身体は触りたいし」

 内衣の裾で隠れている私の太腿を下から這うように手で触れてくる斉藤に恐怖を感じた。私を見上げてくる斉藤の目が、先とは違い、男の目というものをしていたから。

「俺の前では女の子に戻って欲しいなあ」

 仙蔵よりも怖い。仙蔵よりも危ない。ある意味、斉藤は留三郎よりも危ない。私は意を決して、膝立ち抱き締めてくる斉藤の男というものに脛を打ち付けた。私は武家の娘なのだから、軽々と身を男に預けてはならない。これは正当防衛。私は悪くない。

「武家の娘を舐めないで」

 痛みに蹲る斉藤を他所に、私は畳に落ちたままの袴を引き上げ、結び直した。もっと強く蹴り上げてやれば良かったかもしれない。小さく呻りながらも私を見上げてくる斉藤の眉が八の字になっている。「酷い」やら「冷たい」やらぽつりぽつりと斉藤の口から出てくるが、反省の色は全く見えなかった。

「自業自得でしょう」
「だって、栢丸君、ずるい」
「何がずるいの」
「女の子なのに、男と同室なんだよ?」
「仙蔵は私をしっかり男として見てくれている。それに――何度言えば分かるんだ。私は男だと!」
「お団子」

 斉藤の手前、油断してしまう。何時の間にか普段の口調に戻っていた私は、咄嗟に男口調へと直す。斉藤の拗ねた顔を見下ろし、私は嫌な予感を覚えた。私に女の姿をさせて、町でお団子食べに行こうとか言い出すんじゃないだろうか。

「断る」
「じゃあ、羊羹」
「……分かった。火薬委員会の皆で行こうな」
「俺は女の子した栢丸君と行きたいの!」

 ああ、やっぱり。もう、どうしたら良いのだろう。何をしても聞いてくれない。私はその場に座り直すと、文机に投げ出したままの書を丁寧に置き直した。斉藤の事だから、みつねの姿で一緒に出掛けたいのだろう。でも、それをしてしまえば私は学園に居られなくなってしまう気がする。仙蔵は町にも目を向けたようだから、在学中は栢丸に戻らない方が絶対に良い。

「……そんなに私を困らせて、面白い?」

 是と答えてきたら口を開く事が嫌になるくらい、顔面を殴ろうと思う。伊作にまた怒られてしまうけど、仕方が無い。斉藤が悪いんだ。

「面白いというか……反応が可愛いよね」

 痛む股間を抑えたまま笑みを見せる斉藤に、私は言葉を失った。邪気も無く言われてしまうと怒る気は失せ代わりに諦めに近いものが胸内に広がってくる。憎いけど憎む事を失せさせる何かを持つ斉藤が一寸腹立だしい。

「内緒にしてくれるとか言っていた気がするんだけど」
「うん。内緒にしてるよ。だから、立花君に君が栢丸ちゃんだって言ってないし」
「……煽るのも止めてくれる?」
「タカ丸って呼んでくれたらね」

 頷く事しか出来ない私は斉藤――否、タカ丸の額をぺしんと叩いた。私はタカ丸が苦手だ。思い通りに事を運ぶ事が出来ない歯痒さを存分に教えてくれるのだから。名で呼べば嬉しそうに笑むから余計に憎たらしく感じる。

「ちゅーしてくれるともっと協力するよ」
「図に乗るな」
「あ、痛っ」