律背反

不覚の涙を呑んで

「――というわけで、後は頼んだぞ、兵助」
「はい」

 一年は組の補習授業準備に追われる土井先生から直々に火薬委員会の手伝いをして欲しいとの要請を受け、私は手拭いを首に巻いた肩無し内衣というかなり男臭い姿で、土井先生から五年生である火薬委員長補佐の久々知兵助を紹介された。といっても、兵助とは何度か合同授業を受けた仲なので、顔見知り。態々、紹介してもらう必要はなかったけれど、煙硝蔵の近くに居たという事もあり、また、一年は組の笹山兵太夫の姉という事もあり、煙硝蔵に着く迄の短い距離を長い距離と錯覚させる程の愚痴を沢山溢された。確かに、夏休みに宿題をしている姿を見た事が無かった私としては、土井先生の怒りに「申し訳ありません」と頭を下げる外無い。それもこれもきっと仙蔵に因って夏休みが潰された所為だ。という事にしておこうと思う。
 土井先生の背を見送ると、私は暑さに眉を顰めながらも兵助の後に続いて煙硝蔵の中に入った。煙硝蔵の中は外に比べて幾分か涼しい。火薬の入った壺の背をそっと撫でればひんやりとする。

「煙硝蔵は避暑地だな。これは良いや」
「伏見先輩に来て貰えて助かりました。火薬委員会、人少ないんで」
「暇だったから扱き使われても良いよ?」
「お言葉に甘えさせて貰います」
「ああ、どうぞ」

 六年生と云えど、火薬委員会の作業については兵助の方が詳しいので、私は兵助の説明を一から聞く事にした。一年生でも知っていそうな事でもだ。近くの壺を抱えるように座りながら私は兵助の話に耳を傾けた。ひんやりとして気持ち良い。あ、書物の持ち込みは可かな。もし良ければこっそりと避暑がてら忍び込んで書物を広げようと思う。此処は本当に涼しくて良い場所だ。
 私も火薬委員会に入っていれば良かったなあ。どの委員会にも所属していない私は色んな委員会から声を掛けられてはいるものの、女だと知られる事を恐れて所属拒否している。でも、火薬委員会なら良いかもしれない。それだけ私は暑いのが苦手だった。次、もしも、土井先生や兵助に火薬委員会に入って欲しいと言われたら応じよう。私は火薬が詰まったこの壺の冷たさの魅力に心を奪われていた。

「斉藤タカ丸でーす」
「池田三郎次です」
「二郭伊助でーす。入りまーす」
「来たな」

 戸の方へ首を傾げ見遣ると、四年生と二年生、そして一年生が入ってきた。お互いきょとんと目を合わせ、「これ何ですか」といった視線を兵助へ向ける。勿論、私もその中の一人。

「ああ、伏見先輩。こいつらが火薬委員です。四年生の斉藤タカ丸。二年生の池田三郎次。一年生の二郭伊助」
「人手不足って……四年生が居るじゃないか」
「四年生と言っても編入生なので、忍びの伊呂波もこれからなんですよ」
「ふうん」

 すっと立ち上がると、私は三人に向き直った。一人一人視線を合わせていくと、斉藤だけ群を抜いて視線が上になる。何だか一寸苛々した。忍びの伊呂波は一年生で学ぶ。何も知らない真っ新な状態の人間が行き成り四年生に入って来たという事は何かしらの素質を見込まれているという事だ。少し、注意していた方が良いかもしれない。にへらと笑ってくる無垢な顔の下には何かありそうだ。

「私は伏見栢丸。六年生だ。本日限りの手伝い人なんで、宜しくな」
「え、本日限りなんですか!? 俺、火薬委員長にって思ってましたよ?」
「土井先生がそんな事言っていたか?」
「言ってました」
「嘘でも即答するのか、兵助」

 真顔で嘘を言う兵助の額をぺしんと叩きながら、私は苦笑した。委員会に入って欲しいと言ってくれる兵助の気持ちが少し嬉しかったから。

「まあ、火薬委員会も良いかもな。悪くはない。特にこの壺の冷たさは夏を耐えるには良い戦力だ」
「でしょう!」
「でも、火薬委員長だったら断るぞ」

 兵助からしてみれば、他の委員会の六年生に対抗して欲しいのだろうけど、私は委員長だけは無理だと思っていた。数年間、火薬委員会に所属していた者と後数ヵ月で卒業を控えた急拵えの者、どちらが委員長に相応しいだろうか。誰が見たって経験者に決まっている。兵助も私の言わんとしている事が分かっているからか、悩ましい表情を見せ付けてくれた。

「お、俺が参謀で、伏見先輩が将軍みたいな感じに思ってもらえれば」
「委員長補佐を参謀、委員長を将軍に喩えるな。だったら委員長を兵助がやって私が補佐をやる。その方がしっくりくると思うんだけど」
「俺があの委員長達の中でやっていけるとでも!?」
「まあ……思わない、な」

 仙蔵達と比べると、兵助は幾分まだ幼い。忍たまの五年生であるのだから、忍びとしての力はそれなりに有ると思う。だが、潔さと一年分の経験の差はどうしても埋められない。益してや、個性派揃いの六年生に肩を並べるとなると、相当な性格でないとやっていけないだろう。猪突猛進で空気を読まずに六年生を振り切れる程の強者でなければ、先ず無理だ。

「頼みます、先輩! もうじき予算会議があるんで、是非、火薬委員会に! 何でしたら、俺、今度美味しい豆腐店を教えますよ! 秘密の豆腐店!」
「わ、分かった……豆腐は良いから。火薬委員会の方は考えておくよ」
「ありがとうございます!」
「あのー」

 安堵の涙を目元の端に乗せる兵助を他所に、私は掛けられた声の主へ向き直った。

「伏見ちゃんって、女の子だよね」
「は」
「さ、斉藤! それは禁句だ! いくら、伏見先輩が綺麗な顔してるからって!」
「だって髪――ふがっ」

 斉藤の口を覆うように、私は斉藤の頬から顎に掛けて鷲掴んだ。

「兵助……お前もか?」
「い、いえ。違います。俺はそんな事、一度足りとも思った事あります――いえ! ありません!」

 兵助は素直過ぎる。だが、私を男として慕ってくれている事は知っていたので、今回ばかりは許してやろうと視線を斉藤へ戻した。それにしてもこの男、何を言い出した。直に女だなんて見破られた事も無いのに。ぐっと手に力を込め、煙硝蔵の戸の方へ押し遣る。

「表へ出ろ」

 一歩一歩後退させ外に出すと、私は斉藤の口元から手を放し腕を掴んで走り出した。煙硝蔵から離れ、誰の気配の無い場所を探す。「ちょっ、わ、ま、待って」と息を荒げる斉藤を気にせず連れ回し、ようやくと落ち着いたのは離れの厠の裏。少し臭うけど、此処であれば人が来れば分かる。
 肩で息をし地にへたりと腰を下ろす斉藤を私は睨み見下ろしながら、呼吸が整うのを待ってやった。何歳くらいなのだろう。私と同い年か、事務員の小松田さんくらいだろうか。私をちゃん付けして呼ぶくらいなのだから、年下では無さそうだ。

「す、凄いね、女の子、なのに。俺なんか、息、上がっちゃって、もう」
「私は男だ」
「俺には、分かるよ。君の髪、とっても綺麗だもの」

 髪が綺麗であれば皆女の子だとでも言いたいのだろうか。そんな事言ったら、仙蔵だって女の子だ。私よりも仙蔵の方が髪が綺麗なのだから。邪気の無い笑顔を向けられると、先程迄の苛立ちと焦りが莫迦莫迦しく思えてきた。

「何の為に此処まで来たか、分かってないようだから言ってやる」

 斉藤には悪いけど、私を男だと身体で分からせる外無い。腕を回し身体を解すと、私は斉藤の胸倉を掴み腰を曲げ拳を掲げた。大抵の者は私の男面と覇気に恐れをなして私を男だと認めてきた。勿論、認められない者は皆、凹殴りにして認めさせてきた。私に負ければ認めざるを得ないのだから。

「私の拳は痛いぞ。何せ、体術は六年の中で上位の成績だからな」
「……凄い筋肉だね」
「だろう」

 肩無しの内衣から見える私の腕は斉藤よりも引き締まっている。腕の細さは認めるが、力の強さでは私の方が上だと思う。伊達に忍たまの中で鍛錬していない。斉藤の喉がごくりと鳴るのを見届けて、私は余裕の笑みを見せてやる。「えへへ」と苦笑いする斉藤に脅しを入れる私は、端から見れば酷い先輩なのだろうなあ。実際に酷い事をしようとしているのだけど。

「もしかして、隠してたのかな? ごめんね」
「まだ私が女だと言うのか」
「だって、ほら」

 私の髪に触れ、小首を傾げる斉藤。気の良さそうな顔に思わず呆気に取られてしまう。

「男の子と女の子の髪って、結構違うんだよ?」
「は」
「俺、元は髪結いだから。橋袂の斉藤屋って知らない?」
「……な゛」
「この髪……みつねちゃんだよね。びっくりしたよ、まさか忍たまの六年生だったなんて。表情も雰囲気も声色も歩き方も、何から何まで全然違うから確証無くって。でも、髪質は誤魔化せな――ひっ」

 一生の不覚。本当に、過去の私を罵ってやりたい。思わず斉藤の胸を押し馬乗りになると、首筋に苦無を突き付けて黙らせた。
 私は過去にこの斉藤に会っている。それも、昨年の春にたった一回だけ。春休み前にくノたまから評判の良い髪結い所があると聞いていた私は、長くなった髪を整えて貰おうと、春休み入って笹山家に帰る前に立ち寄った。既に着替えも済ませていたので、そのままの姿――詰まりはみつねの姿で斉藤屋の暖簾を潜ったのだ。あまりの人が並ぶ店だったので他に行こうかとも思ったけど、折角だからと並んで待った。折角並んだのだから噂の店主に髪結って貰いたかったが、私の髪に鋏を入れたのは目前で青褪める、そう。斉藤屋の若旦那。斉藤タカ丸だった。

「よく……一年前の事を覚えていたな」
「お、俺、一度、髪に触れた人は大抵覚えてるんで。それに、みつねちゃんの髪は忘れられないよ」
「っはあ、もう! 私の莫迦ものっ」
「みつねちゃん!?」

 苦無を懐に仕舞直し、私は斉藤の胸倉を掴んでは前後に揺さ振った。数ヵ月もすれば卒業だというのにこんなところで正体を知られてしまうなんて、悔しい。とても悔しい。ほんの一寸の気の緩みが招いた悲劇だ。揺さ振っていた手を止めると、私は潤み出す目元を掴んだままの斉藤の襟に押し付けた。悔しい。凄く悔しい。あと一寸なのに。

「あの、みつねちゃん」
「此処では栢丸なの! その名で呼んだら喉笛を掻き切る!」
「じゃあ、栢丸……君?」
「そう!」

 何時の間にかよしよしと頭を撫でられていた。手を払い退け顔を上げると、何だかとっても嬉しそうな顔をした斉藤が居た。何だかとっても腹が立つ。

「みつねちゃんが本物なんだよね? 栢丸君は変装?」
「……そうよ。先生方しかご存じ無い、私の変装。生徒は皆、私を伏見栢丸という男として見ている」
「そっかあ。じゃあ、今、六年生が探し回っている兵太夫のお姉さんって事だよね?」
「……何が目的なの」

 斉藤は私の髪を一房掴み、見せ付けるように目前に持ち上げると、目蓋を閉ざして自分の唇に宛がった。何か、吸い付く音が聴こえてくる。何、何、何、何しちゃってるのこの人。

「人の髪に何してるの!」
「俺、内緒にしてあげても良いよ」
「……だから」
「うん。だから、俺の好きな時に思う存分、みつねちゃ――栢丸君の髪を触らせて欲しい」

 人の名前を言い直している時点でとても危なっかしい。でも、斉藤に私がみつねで女だと言い振らされては、私の学園生活は終わってしまう。ある意味、仙蔵よりも性質が悪い。気の良い顔の下には何重にも気の良い顔が隠されている。仙蔵とは全く違う、厄介な人だ。斉藤を見ていると、仙蔵が可愛く思えてくる。

「……分かった。でも、私の素性が割れたら、唯じゃおかないからね」
「大丈夫、ちゃんと守るよ。栢丸君が約束守ってくれるならね。でも、あと一つ」
「まだあるの!?」
「火薬委員会に入って」

 やっぱり一つ殴っておこう。私は斉藤の胸倉を掴み直して、拳を掲げた。





「悪いな、兵助」
「何処行ってたんですか――って、ああ」

 斉藤を引き連れて煙硝蔵に戻れば、兵助が慌てて駆け寄ってきた。斉藤の顔を見て何があったのか察した兵助は、言葉を噤んでくれた。以前、兵助の目の前で八左ヱ門を餌食にした事があるからか、障る言葉は口にしない。兵助は物分かりの良い子だ。兵助の背後で青褪めている池田と二郭が気になるけど、私は今は男――栢丸なのだから、仕方が無い。

「斉藤、反省したか?」
「……うん、した」
「壺で頬を冷やせ。きっと、気持ち良いぞ」
「う、うん」

 にこやかに斉藤へ笑んでやると、私が殴った頬が痛むのか、泣きそうな引き攣った笑みが返ってきた。
 私は本日を以って、火薬委員会に所属する事になった。