された痕

背けたい現実に私は目を覆う

 留三郎を立派な留子に仕立て室を出ると、じんわりとした暑さが私の背中を撫でる。庭を駆け回る肩袖無しの内着だけとなる生徒を見ては、涼しそうだなあと思ってしまった。自室に戻ると仙蔵と小平太の姿は見当たらなかった。よし、今のうちに腕を見ておこう。先ずは右腕。袖を肩までたくし上げ、暗器を外す。暗器を忍ばせていたところが薄らと赤いが、外、内とを見ても鬱血の痕は見当たらなかった。となると、左腕にある事になる。
 正直、見たいとは思わなかった。あるという事だけ分かれば良かった。この目で直に見てしまえば私はきっと気落ちしてしまう。気分が悪くなるかもしれない。今までと同じ様に仙蔵と接せなくなるかもしれないから。

「――っ」
「栢丸、戻っていたのか」
「せ、仙蔵」
「どうした」
「いや、別に……どこに行っていたんだ?」

 突然、背後に現れた気配に、私は息を呑んだ。今一番に会いたくなかった人。振り向いてみれば、戸に腕を預け首を傾げ見てくる。先とは違い、仙蔵も涼しさを欲したのか、上半身を肩無しの黒衣に変じさせていた。

「みつねを探しに出ていた」
「そうか」
「濃く付けた筈なのだがな」

 見付からなかったらしい。それもその筈。みつねは私だ。見付かったというのなら、それはそれで大問題だ。仙蔵の憂う声から察するに、くノたま全員の腕を調べたのだろう。何をどうして二の腕を見せて貰ったのかが気になるところではあるけれど、仙蔵が耳元で囁けば大抵の女の子は言いなりになるのだろうと思う。友である私でさえ、みつねである時に執拗に囁かれては胸内を仙蔵の掌で転がされたものだから。

「残念だったな」
「初日に確認しておくべきだった」
「私や小平太に惚気話を浴びせていたのが悪い」

 隣に腰を下ろしてきた仙蔵の髪がさらりと私の肩に掛かる。一房掴むと、私はその真っ直ぐな髪を指で梳いてみた。引っ掛かりの無い、櫛通りの良い髪。仙蔵に告白する女の子は、この仙蔵の髪を知り自ら別れを持ち掛けると聞く。勿体無い。仙蔵の綺麗な髪を思う存分に触れる事が出来るというのだから、別れる事なんて無いのにと、私は思う。女の子からしてみれば、女性である自分よりも男性である仙蔵の方が髪が綺麗だというのが認められないのだろうけど。私は仙蔵は兎も角として、仙蔵の髪が好きだ。ついつい触ってしまいたくなる。するっと指の間をすり抜ける時の感覚がとても心地好い。そう、兵太夫の柔らかい頬を触っている時と同じで、心が満たされる。

「仙子でも想っているのか?」

 妖艶な笑みを乗せ私の顔を覗いてくる仙蔵の額や顎先には汗が浮いていた。夏の仙蔵は実に男臭いと思う。常日頃、男臭さを醸し出している文次郎並みに。肩無しの内衣姿だからだろうか。均整のとれた腕の筋肉やら襟元から見える胸板がとても羨ましい。私も男であれば仙蔵のような体形だったのかな。

「そうだな。仙子に会いたいなあ」
「私は構わんぞ。栢丸になら夜のおかずにされても怒りはしない」
「お前達は本当に好きだな、そういうの」
「お前が一途で初心過ぎるのが悪い。ついつい弄りたくなる」
「どこぞでくノたまに聞かれているか分からんというのに」
「ほう、お前の想い人はくノたまか」
「え」
「後輩とは驚いたな。お前は年上が好みそうに見えたが。だが、先に言っておく。みつねは渡さんからな」

 どうしよう。得意気な顔する仙蔵がとても可愛く見える。先読みしたぞと言わんばかりの誇らしい笑みが崩れる様を見届けたい。

「仮に私がくノたまの後輩が好きだとしよう」
「仮にと言わずとも良いだろう。俺とお前の仲ではないか」
「私が後輩に恋慕していたのなら、仙蔵、お前は今頃、厠に頭を埋めてるぞ」
「……どういう意味だ」
「お前、今日、くノたま全員に何をしたんだ。思い返してみれば分かる事じゃないか?」

 仙蔵の表情が固まる。目を細め視線を落す仙蔵に、私は為て遣ったりと小さく舌先を出し笑んでやる。眉間に皺を寄せ小睨んでくる仙蔵がとても可愛らしく見えるのは、私が仙蔵に負けず劣らずの意地悪心を持っているからだ。

「仙蔵の想い人も大変だろうなあ。仮に仙蔵を慕っていたなら、勘違いをしていなければ良いけどな」

 私の手元から己の髪を奪うと、仙蔵は足音を立てて室を出て行った。らしくもない。相当、動揺させてしまったらしい。そもそも、勘違いされたくなければ手当たり次第の捜索をしなければ良いのに。勘違いも何も、私には筒抜け状態なのだけれど。私は右腕の袖を元に戻し、襟元に手を掛けた。肩を寄せ上衣を脱ぐと、肩無しの内衣を晒す。やっぱり夏は内衣でないと涼しさを感じない。胸元を覆う晒布が汗を吸い少し気持ち悪くも感じるけど、腕や脇に通る風が心地好かった。

「って、それどころじゃない」

 仙蔵が帰って来る前に左腕の始末をしなければ。見たくはない。だけど、何時までも暑苦しい袖衣の姿では居られない。やっぱり確認しておくべきかなと思い、そろりと視線を左の二の腕に落とした。――付いてる。ある。痕がある。それもくっきりと。二日経った筈だというのに、赤々とした痕が残されていた。どれだけ力強く吸い付いたんだろうか。
 化粧道具へ手を伸ばし、白粉をはたはたと被せてみる。幸い内側だったので、姿勢良く立っていれば先ず見える事は無い。汗を掻いてしまえば落ちてしまうかもしれないけど、隠さないよりは幾分か良いだろうと思い、私は泣きそうになる目元を手で覆った。仙蔵が怖い。心の底からそう思った。