の会話

夏の寒気

 私は仙蔵の豹変振りに戸惑っていた。夏休みが明けて二日経ったばかりだというのに、私はあまりの居心地の悪さに吐き気がしてしまう。授業がしたい。実習がしたい。仙蔵の言葉――否、仙蔵の声すら聴きたくなかった。私の耳に胝を作る気なのか、「もう分かったから黙れ」と言っても聞く耳持たずに、四年生の自称一番人気という滝夜叉丸の如く、熱籠る気持ち悪い声でみつねへの愛を囀る。とにかく煩い。
 幸い、みつねが私だという事は知られていなかった。朝食、昼食、夕食と、食堂に鐘が鳴る寸前まで居座り、暇な時間が出来るとくノ一長屋の傍まで出向いてみつねを探しているらしい。どの様な容姿かと問えば、嫋やかな容姿に真っ直ぐで艶やかな黒髪を持ち、微笑まれれば「お前とて容赦無く落とされるだろう」と仙蔵が豪語する。誰だそれは。第一、変装しているのだから、みつねの姿を探すだけでは無意味だと思うんだけど。知恵を振り絞られては困るからあえて口にはしなかった。

「……喧しいな。本当に喧しい」

 今日は夏休み明けての初めての休日。授業の無い、最低な日。仙蔵の目を盗んで図書室で書でも広げようかと考えたけど、図書室は暑いから風通りの良い自室の隅で涼みながら書物に没頭しようと決め、私は寝転がっていた。
 ほんの一寸前までは蝉の鳴き声だけが私の至福の読書時間を妨げていた。でも、気付けば戸に背を預けた仙蔵が小平太に私への愛を語っていた。ただ、語っていただけならまだ良かった。相手が小平太という事もあって、愛の語りは何時の間にか男の会話へと変貌し、私は夏だというのにも関わらず寒々しい思いをしていた。正直、未だに男同士の会話は苦手だ。

「触れたか、揉んでみたのか?」
「ああ、どさくさに紛れてな。羽織りの上だったからなあ……だが、こう、柔らかかった」
「あー良いなあ、私も揉みてー、遣りたいぞー!」

 止めてください。気持ち悪い。小平太だけは絶対に嫌だ。いや、仙蔵でも嫌だけど。
 あの右手か。あの時の事か。あれは偶然の事故ではなく、態とだったのか。仙蔵の右手の掴む――というよりは揉むなのかな――の仕草が何とも厭らしい。恐ろしい。何て事だろう。どさくさに紛れて羽織りの上から触っただなんて。私は夏休みの苦々しくも恥ずかしい記憶を一部思い出してしまった。





 何度と遊びにやってくる仙蔵の相手をするのが疲れて来た頃の事。流石に一人で相手はしたくないと思って、兵太夫を呼びに兵太夫の部屋に入った。まさか、兵太夫の部屋がからくり部屋になっているだなんて思ってもみなくて、一歩踏み出した途端、私は前のめりに倒れ浮遊感を大いに味わってしまった。くノたま――ではなく、忍たまの上級生として生きる今の私にとって、一年生のからくりに引っ掛かってしまうなんてとても情けない。あれ、そういえば、結構な高さから落ちたというのに、然程、痛くない。と、ぎゅっと瞑っていた目を開く。右腕を下にして横向きに倒れている事を理解すると、背中がとても熱かった。

「大丈夫か」
「せ、仙蔵、さん!?」

 兵太夫のからくりに落ちていく私を助けようとしてくれたのだろうけど、一緒に落ちてしまっていたみたいで、私を背後から抱き留めて、穴の底に叩き付けられる衝撃を庇ってくれたらしい。仙蔵、ありがとう。本当に、ありがとう。やっぱり、仙蔵にも良いところがあるんだ。ちょっと見直してしまった。仙蔵を恰好良く思ってしまうのは、やっぱり私も女の子だから。痛みを隠そうと必死に呻く仙蔵の声が耳元に聞こえた。どきどきしてしまう胸の音が聞こえていなければ良いなと心配になる。と、同時に左胸と左太腿の付け根に異様な感覚があった。

「え?」
「ん?」

 私を抱える仙蔵の右手が私の左胸をやんわりと何度か揉む。私の左太腿の付け根に置いていた仙蔵の左手が、私の腰からお尻に掛けての形を確かめるように触れてきた。

「な、なな何、どこを触ってるんですかっ!?」
「ああっ、す、済まん。不可抗力だ」

 起き上がって仙蔵を見下ろし睨む。恥ずかしさのあまり、仙蔵の頬を引っ叩いてしまおうかとも思ったけど、焦り謝ってくる仙蔵を見ていたら怒る気も失せてしまった。痛みを庇ってくれた拍子に、偶々触れてしまっただけの事なのだから。大目に見て、許してやろうと思った。寛大な心で。痛みに耐える仙蔵を目の前にしてしまえば、尚更、怒れないし。

「痛っ」
「せ、仙蔵さん、大丈夫?」
「ああ、私は大丈夫だ。みつねこそ、大丈夫か? ほら」
「え、あ」

 仙蔵の上体を起こせば、手首をぐっと引かれて抱き締められてしまった。近い。さっきも近かったけど、今は顔がかなり近い。意外にも仙蔵は私よりも大きかったんだなあとか、触れてくる手は優しいものばかりだとか、真っ赤になってしまっているだろう私の顔を仙蔵の胸元に隠しながら、密かに思ってしまった。

「へ、兵太夫を叱らなければ」
「私やみつねを出し抜いたこのからくりは褒めてやらんといけないけどな」

 くつくつ笑う仙蔵は何時もと違い、とても優しい声をしていた。





 だというのに、あれはやはり偽りだったのだ。男なんてそんなものなのか。いや、でも、留三郎とか、伊作は清純に女の人を想っていそうだけど。仙蔵はやっぱり男なんだ。いや、男なんだけど。

「だが、どうやってそのみつねって娘を見付けるんだ?」
「目印を施しておいた」
「おお!」

 目印という言葉に、私の意識は苦々しい記憶から仙蔵へと向き直る。これはしっかりと聞いておかないと、危ない。結局、仙蔵の話を聞いておかないと対策に不備が生じてしまいそうだ。何とかならないものかな。

「夏休み最後の日に睡眠薬を盛って、夜に忍んでな。みつねの二の腕に吸い付いて鬱血させておいたのだ」
「ぶっ」
「何だ、栢丸も仲間に入れて欲しいのか。隅っこで団子の真似事止めて、こっち来い! 楽しいぞ!」

 吹き出してしまいそうになる口元を止めた筈が、吹き漏れてしまった。仙蔵が怖い。本当に怖い。知らないところで何されてるの、私。二の腕を出さずにいて良かった。後で箇所を確認しないと。

「なあ、栢丸居るか?」
「おお、留三郎! お前も仙蔵の話を聞きに来たのか?」
「俺、さっき、栢丸居るかって聞いたよな」
「栢丸、呼ばれてるぞ」
「あ゛、何の用だ、留三郎」
「機嫌悪そうだな」

 目の前で自分の身体の事についてあれやこれやと言われれば機嫌も悪くなるのは当たり前だと思う。仙蔵を目の前にして留三郎にそんな事言えるわけでもないけれど、私は留三郎を睨み付けて八つ当たりをして気を紛らわす事にした。

「明日、訳有りで女装しないといけなくなってな。頼む! 俺に女装の極意を教えてくれ!」
「仙子先生にお願いすれば良いじゃないか。私はごろごろしていたいんだ」
「乙女先生を指名してるんだ。付き合ってやれ。第一、俺は忙しい」
「頼むよ、乙女先生!」
「その――乙女先生っていうの、やめろ」

 乙女というのは私の女装時の名前。私の本当の名――みつねを使うのは気が引けたし、栢丸から捩って使うのも嫌だと思い、留三郎に相談した事が切っ掛けで付けられた名だった。留三郎が女装すれば「お留」か「留子」となるので、どちらか貰おうとした時に「お留」を貰って、だったら「乙女」だろうと付けられた。乙女には嫌味が少しばかり込められているので、私は女装時の名で呼ばれる事を嫌っている風を装っている。だって、今は男の子だから。

「……分かった、直ぐに留三郎の部屋に行くから先に行って待ってろ」
「おお、助かった! 待ってるぞ!」

 どたどたと忍びらしくない足音が遠去かる。私は行李から化粧道具一式を取り出すと、重々しい身体を立ち上がらせた。夏に女装だなんて、誰もしたがらないだろうに。女装する理由を訊いても良い気がする。留三郎を立派な留子にする前に、聞いてみよう。

「栢丸、気を付けて行け」
「は?」
「留三郎は乙女を夜のおかずにしているそうだぞ」
「夜の……おかず」
「ああ、私もこの間、夜のおかずにした。美味かったぞ!」
「何を呆けている。お前も俺の仙子をおかずにしてるのだろう」
「私は流石に仙子はおかずに出来なかった。すごいな、栢丸!」

 拳を仙蔵と小平太の頭に突き落し、私は早々に離れた。背後から聞こえてきた小平太の「本当の事なのにな」という言葉に、耳を塞いだ。