戸を開け閉めても、栢丸は俺が部屋に入った事すら眼中に無しと言わんばかりに、文を手前に眉を寄せる。壁に背を預け、ふと顔を上げれば俺の姿など簡単に見る事が出来るというのに、栢丸はしない。実家からの文なのだろう。栢丸の実家から届く文は、必ずと栢丸の表情を束縛する。束縛という言葉は間違いだな。むしろ、百面相にさせるのだ。
だが、俺が入って来た事にすら反応を示さないのも面白くない。近くに居るというのに一向に気付かない栢丸に忍び寄ると、俺は栢丸と文の間に顔を入れる。
「どうした、栢丸。浮かない顔をしているな」
「そ、そうか?」
俺の存在に気付いていたのかは分からん。だが、文の潰れる音が俺の耳にはっきりと残る。ああ、動揺しているのは確かのようだ。女装をすれば男とは先ず思えない栢丸のその端正な顔立ちに、焦りが生じている。普段、見られない反応がとても好ましい。
秀麗な顔立ちに凛とした佇まい。い組の中でも優秀で、気前の良い美男子だ。一目惹くその凛々しい姿に胸がときめいてしまうのだとか、以前、くノたまの集団が口々に噂していたのを思い出す。俺も逞しい身体付きとまでは往かないものの、それなりにしっかりとしている方だが、栢丸は俺よりも一回り細い。容易く捩じ伏せられるのではと思ってしまう程に、同じ男としては些か不甲斐無さを感じるが、意外にも力は強い事は知っている。こういう者こそが侮られ易く、また、竹箆返しを食らわしてくるのだろう。
「実家から見合いしろと言われてるからかな……ははは」
成程、見合いの文だったのか。好いた女が居るという事か。それは確かに焦るだろう。栢丸は武家の出だった筈だ。
「栢丸は長男だったか」
「まあな。仙蔵は言われないのか? お前も長男だろう?」
苦笑する栢丸は女のような顔で男らしい表情をする。童顔と呼ぶべきものなのだろうか。浮かべる表情は年相応の男のものであるから、面白い。
栢丸と見合いする女も大変だろう。釣り合いが取れるか不安になるのではないだろうか。俺でさえ、声を掛けてくる女は居るが早々に去って行く者ばかりだ。栢丸も、特にくノたまの後輩から声を掛けられているが、恋仲迄には発展していないようだ。
「俺のところはまだ何も言ってこないな」
「羨ましいな」
「大川学園に居る間は言って来ないだけだろう」
卒業すれば、頻り無しに見合いしろと言われそうだ。栢丸を見ていると、まるで己を見詰めているようで、いろいろと考えさせられる。
ふと、鼻先を掠める匂い。何度と出会った事のある匂いだ。落ち着きある優しい香り。
「ところで――」
「な、何だよ」
「お前から良い香りがするのだが……何だ?」
「っ――知らん!」
香りの出で先を確かめようと、俺は栢丸の腕から肩へ、肩から鎖骨へと鼻先を寄せた。半分は冗談だ。香りの出で先など、知れている。文からだ。そして、休み明けに実家から学園へ戻った栢丸も初日ぐらいはその香りに包まれたままだ。俺に劣らずの端正な顔を持つくせに、栢丸は俺の色に弱い。文次郎程ではないが、これはこれで楽しいものがある。
現に、栢丸の頬が少しばかり赤み指している。頭の中には俺の女装姿でもちらついているのだろう。文を持つ時でしか楽しめないものだ。可愛い奴だと思う事にしておいてやる。
「男に色香使うなよ。私は両刀じゃないのだから、頼むよ」
「失礼な奴だな。まるで俺が両刀のようではないか」
男は抱いた事など無い。俺が両刀であれば、同室である栢丸が第一の相手になるだろうに。
「悪かった」
「分かれば良い」
苦々しく謝られると、弄る気も失せた。気も合い、苦労しない友ではあるが、俺の楽しみを満足させるには至らない。書でも読もうと決め、俺は栢丸から離れた。小さく溜め息吐く音が耳に入る。未だ、栢丸の胸中は乱れているのだろう。もう少し遊んでおけば良かったかもしれない。
俺は戸に背を預け、書を広げた。墨の字から兵法書であると分かる。書室より読んだ事の無さそうなものを中を見ずに取ってきたものだ。春休みという長い期間を潰すに丁度良い。文箱を開け閉める音が耳に届く。次いで、栢丸も書を広げたのか、紙をめくる乾いた音が聞こえた。字を目で追うと視界端に栢丸の面相が見える。ころころ変わる面相に、俺は小さく苦笑を溢してしまった。栢丸は本当に見ていて飽きない。
「どうした、百面相になってるぞ」
「見てたんかい」
「気配で分かる」
今回の文は栢丸を大層焦らせているようだ。何が書いてあったのか気になるところだが、無粋な事はしない。親しき仲にも礼儀はあるものだ。まあ、栢丸が見合いを決めたのなら、どのような相手なのかぐらいは聞こうと思っている。栢丸が好む女というのも、興味があるからだ。
兵法書の字を目で追うよりも、栢丸と碁を指した方が暇潰しになるかもしれない。ふと、栢丸を見遣れば、またもや面白い顔をしていた。気味の悪い笑みを浮かべたと思いきや、眉間に皺を寄せ俯く。
「愉快な奴だな」
「人の顔を見るなって」
「気配で分かると言っただろう」
見合い話を受けるか受けないかであれば、眉間に皺を増やすだけの顔にしておけば良いものを、栢丸は様々な面相をする。実家からの文さえ手にしなければ、今のような面相は決して出さないのだから、不思議なものだ。
「仙蔵」
「百面相は止めたのか?」
「ああ、止めた――じゃなくてだな」
「何だ」
書に向けていた顔を栢丸へ向けてやる。何だと聞いてやっているというのに、栢丸は口を引き結んだままだ。言え、と首を傾げ促せば。
「仙子になって、私の頭を撫でてくれないか」
「断る」
見合いして相手に頭を殴ってもらえ。俺は囲碁での暇潰しを止め、書に意識を戻した。