私は今、実に焦ってる。今春、弟の兵太夫が大川学園に一年生として入学するからだ。兵太夫と私は武家の子である。兵太夫は長男であるから、ある程度の行儀作法を学ぶ為に外に出すとは聞いていた。だけど、まさか私と同じ大川学園だなんて思いもしなかった。兵太夫は姉想いな良い弟だ。だからこそ、私と同じ大川学園には入って来ないと思っていた。私に甘えたがる兵太夫の為にならないから。
「どうした、栢丸。浮かない顔をしているな」
「そ、そうか?」
突然、目前に現れた顔に、私は手に持っていた文を握り潰してしまった。同じ学年であり、同じ組であり、また同じ部屋で共に生活している立花仙蔵。眉目秀麗且つ、成績優秀であり、後輩の面倒見も良く、何をしても様になる色男である。そう、私は女でありながらも、男の中で生活をしている男装忍びだ。いや、仙蔵達、男からしてみれば私はれっきとした男なのだろう。私はくノ一教室のくノたまではなく、男忍びの忍たまなのだ。名前も父より笹山みつねという、実に女性らしい名をいただいている。仙蔵に呼ばれた名は偽名であり、男として生活する上で必要な私の名だ。
「実家から見合いしろと言われてるからかな……ははは」
「そういえば、栢丸は長男だったな」
「まあな。仙蔵は言われないのか? お前も長男だろう?」
真っ直ぐで闇夜の如く艶やかな長い黒髪が私の腕にさらりと落ちてくる。近い。悟られぬように少しばかり首を遠ざけると、仙蔵は自分の髪を背へと払い退けた。一寸、助かった。
「俺のところはまだ何も言ってこないな」
「羨ましいな」
「大川学園に居る間は言って来ないだけだろう。ところで――」
「な、何だよ」
とても近い。正直、仙蔵の男前で綺麗な顔にときめかないわけではない。だけど、この五年間はずっと同じ学年、同じ組、同じ室という仲間の位置を築きあげてきたんだ。日に日に逞しい美男子に成長する様を一番近い場所で見てきたと言っても過言ではない。だからこそ、友達であり、仲間であり、私としては親友とも思っていたりする。女である事を騙している事についてはとても申し訳無いと思っているけれど、私は仙蔵を良き友だと胸を張って言える。詰まりは、友という位置関係がとても好きな私からしてみれば、頼むから男にも色香を使わないでくれと言いたいのだ。私は今は男なのだから。
「お前から良い香りがするのだが……何だ?」
「っ――知らん!」
擦り寄る女性の如く、仙蔵は私の胸元へ鼻先を寄せてくる。せめて女装して仙子ちゃんになってからにして欲しい。い組仲間の潮江文次郎にもこんな事、しないだろうに。私は耐えきれず、仙蔵の額をぺしんと平打ちした。
「男に色香使うなよ。私は両刀じゃないのだから、頼むよ」
「失礼な奴だな。まるで俺が両刀のようではないか」
文次郎相手ならきっと意地の悪い顔をして続けたりするのだろうけど、私相手では仙蔵の意地の悪さは続かない。私も仙蔵に近いものがあるからだ。人を弄る事が如何程楽しいのか、少なからず知っているから。
「悪かった」
「分かれば良い」
香りを辿るのは止めにしたのか、仙蔵はすっと立ち上がると、自分の文机に置かれた書に手を伸ばした。私もほっと胸を撫で下ろす。戸に背を預け、書を開いた仙蔵を確認。よし、私も文を片付けてから読書に入ろう。
今は春休み。明ければ晴れての六年生となるのだ。先輩の居ない初めての学年となるのだから、私も六年生として恥じない忍たまにならなければならない。心構えを引き締める為に私は春休みを学園で過ごす事にした。仙蔵も私含め、残り組の人数の多さを確認してから学園に残る事を決めたようだった。唯単に帰っても何をする事も無いというのが一番の理由な気がするけど。
ぺらりと乾いた音と墨の匂い。私はこの音と匂いがとても好き。特に静かな昼休みに、木漏れ日の下で読む書の時間がたまらなく好きだ。――って、だから、私は書を開いている場合では無いのというのに。
「どうした、百面相になってるぞ」
「見てたんかい」
「気配で分かる」
兵太夫が来る。私の問題はたったのそれだけ。あの可愛い兵太夫が「姉上~」と甘えた声で私に近寄ってくる。とても嬉しい事でもあるし、よしよしと頭を撫でてぎゅっと抱き留めてあげたい気持ちになる。でも、それは決して出来ない事。私は今、男なのだから。
兵太夫には私が大川学園のくノたまであると言っている。でもそれは大きな嘘。笹山みつねというくノたまは実在しないのだから。唯一、私が女だという事を知っているのは、大川学園の教職員の皆様と、私のお爺様。両親はくノたまの六年生だと未だに思っている。きっと兵太夫は私を探しに来る筈。さて、どうしたものかなあ。
「愉快な奴だな」
「人の顔を見るなって」
「気配で分かると言っただろう」
女だと知られたくない。知られては、私は忍たまの六年生として卒業出来ない。あー、とっても面倒な事になってしまった。入学する前の私は何故、お爺様にあのような戯言を言ってしまったのだろう。
くノたまとして、兵太夫の目の前で堂々とする事が出来れば、兵太夫の分からないところとか教えてあげるという、姉らしい事が出来たというのに。何故、兵太夫の事を考えなかったのだろう。いや、兵太夫は武士の子として、奉公に出るのだと思っていたから仕方の無い事なのだけど。私のところに兵太夫が来て大丈夫なのだろうかと、父も母も悩んだ筈。なのに、何故、来る事になったのだろう。あんなに、姉上っ子だというのに。
「仙蔵」
「百面相は止めたのか?」
「ああ、止めた――じゃなくてだな」
「何だ」
首を傾げ私を見る仙蔵の髪がさらりと音を立てる。
「仙子になって、私の頭を撫でてくれないか」
「断る」
仙子に縋ろうとした私は仙蔵に振られてしまった。