崩壊から一年といくばくかの月日が経ち、世界から魔導の奇跡と恐怖は失われた。だが、それは真の平和の訪れではない。生き残った人々や生物が、壊された文明や自然が本来の姿を取り戻すために、あるいは未来を目指すために与えられた試練があるとすれば、まさにこれからだ。
カイエン・ガラモンドは、ドマ王国の戦士だった。だった、というのは他でもなく、東方の美しい国ドマは、既に敵国の侵略によって滅亡しているためだった。
知略同士や武力同士がぶつかって敗れた結果ならば、まだよかっただろう。しかし王国の終焉が、かつてガストラ帝国に属していた頃の魔導士ケフカの奸計――毒という形で訪れたという無念と屈辱は、ドマにとって、生き残ったカイエンにとって、ひどく耐え難かった。
世界崩壊の後、故郷や家族、そして世界を守れなかった己を責めたこともあった。この手に抱けるものなど何もないのだと、絶望の闇に堕ちかけたこともあった。
しかし、カイエンは家族の愛や仲間との絆によって己の弱さに克ち、自身の仇である以上に世界の脅威であったケフカを討ち、ついに光を手にしたのだ。
ケフカとの激闘の後、ともに戦った仲間たちは、各々の戦いを、各々の場所で続けている。そしてカイエンも同じく、己の守るべきもののために戦い続け――今もなお、誇りと忠誠心からドマの戦士を名乗り続け、腰に帯刀し、祖国復興のために日々尽くし続けている。
「カイエンさん、お疲れさま!」
「おお、名前殿。そちらもご苦労であった。いつもかたじけないでござるよ」
ドマ城から目と鼻の先にある平原の、開けた場所に張ったテントの外で腰を下ろして休んでいたカイエンに声をかけたのは、名前だった。
名前はケフカ討伐時の仲間だ。ちょうどドマ陥落に立ち会う形となった反帝国組織リターナーのモンク僧マッシュとともにナルシェへ向かう道中、モブリズの村で出会った。
彼女自身が早くに身寄りを亡くしていたこともあり、名前はモブリズ近くにある獣ヶ原に住んでいた野生児ガウを弟のように思っていた。ガウの身を案じるあまりにカイエンたちについてきて、結局最後まで世界を救う旅に同行することとなった。
年長者のカイエンからしてみればガウや名前は子どものようなもので、旅の道中もよく目をかけていたし、また二人からもよく懐かれていた。
「ううん、少しでもカイエンさんの役に立ててるなら嬉しいよ」
長かった戦いの後、ようやく戻ったドマは滅亡後にろくな手入れもされなかったこともあり、実に荒れ果てていた。復興にあたってどうするかと悩んでいたところ、最初に手伝いたいと言ってくれたのが名前だ。
ひとりでも多く、寂しい思いをする人が減るように。
その願いこそが、名前の行動指針だ。カイエンは快くそれを了承し、逆にぜひ助けてほしいと頭を下げたのだった。
「少しだなんてとんでもないでござるよ。名前殿はすっかり頼もしくなってしまって、拙者の方がしっかりせねばならぬ」
刻まれた皺を深くして笑うカイエンの言葉に、偽りはなかった。
男性陣は、半ば骨と化していた遺体を運び出して埋葬する他、瓦礫の撤去など、どちらかと言えば力仕事を請け負っている。反して、女性陣は遺品の整理や城内の清掃など、心配りを要する作業を行っていた。
実のところ、落城時、籠城策を採っていたドマの生活水に紛れた毒は、城内にいた女や子どもを中心に襲ったのだ。生存者など、ほぼ期待はされていなかった。しかし、名前はそれを諦めることなく、あの面倒見がいいわりに物ぐさで気まぐれなところのある賭博師を口説き落として飛空艇を出させた。そして、世界各地に散らばっていたドマの生き残りや関係者を探し、復興に協力しようと声をかけたのだった。
そんな流れもあって、あまり数こそ多くはいないが、現在名前が女性陣を牽引する形となっている。カイエンにとっても本当に心強いばかりだ。
「そうそう、カイエンさんに見てほしいものがあって……」
ごそごそと名前はポケットを漁り始める。あれ、ない、おかしいな、などと言いながらポケットをあちこちひっくり返しているのを微笑ましく見てから、カイエンは視線を動かした。
このドマ復興のための拠点としている野営地もいつの間にやら人員が増え、テント村と呼べるほどの賑わいを見せている。
頻繁に手伝いをしてくれるマッシュやガウ以外にも、小まめにドマゆかりの人間を探しては連れてきてくれるトレジャーハンター、炊き出しに来てくれるかつての仲間の女性陣、物資を送り出してくれる砂漠の地の国王や、それらすべてを飛空挺で運んでくれる前述の賭博師など、それぞれに感謝し尽せない。
「――あった! これ、水路の奥に引っかかっていたのを偶然見つけたんだけど……」
ようやく探し物を見つけたらしき名前が、自らの手に乗せてカイエンへ差し出す。
「きっとアクセサリーか神具の類だと思うんだけど、これが何で、誰のものかわかるかな? 色々な人に聞いてみても、みんな知らないって言うから」
見れば、少し大きい金貨のような円状の平らな飾りに、二本の鋭い足がついたものだった。
「持ち主はわからぬが……しかし、ずいぶん懐かしいものでござるな」
「カイエンさん、知ってるの?」
「これはかんざしといって、女の髪を結うものでござる」
手のひらを横断し、少し飛び出るくらいの大きさのそれは、平打ちかんざしと呼ばれる装身具だった。
「最近では見かけることはほぼないが、大昔、ドマの女はこれで髪を結わいていたそうでござるよ」
古くから、ドマ王国はあまり他国とは交流を持たず、世界の中でも異端な文化を発展させてきた。ありとあらゆるものの佇まいが独自性に溢れ、それゆえに外からは異国と呼ばれた。
とりわけ顕著だったのは、やはり衣類や装身具だろう。交易が栄えてからは他国の文化が入り、その独自性も緩やかに希釈されてきていたが、ほんのわずか前まではこういったかんざしのように他国にないものが多くあったのだ。
「へえ、装飾がすっごく細かくて綺麗……!」
名前も年頃の少女だ。初めて見る装飾品に目をきらきらと輝かせている。
「でもこんなのでどうやって髪が留められるんだろ。セリスだったら上手にできるかなあ」
天にかざされたかんざしは、おそらくは金製なのだろう。水路に引っかかっていたというわりには綺麗で、錆が見受けられない。薄く丁寧に延ばされた金の円状の部分には、花らしき細かい透かし細工が施されている。
名前が手にしているのをちらりと見ているだけのカイエンでもわかるほど、質の良い品物だった。
「うーむ……名前殿の言う通り装飾も手が込んでいるし、素材も高級でござるな。この手のものはあまり一般に出回るものでもなかったはず……」
「もしかして王家ゆかりのものだったりして?」
「その可能性もあるかもしれぬ」
名前にしたら、半ば冗談のつもりだったのだろう。にっとしていた口元は、カイエンが真剣な口調で返した途端に凍りつき、そこから「えぇっ」とやや濁った声が飛び出る。
「――だとしても、ドマは一度滅びた国。そう畏まる必要もないでござるよ」
慌てておそるおそるとかんざしを取り扱い始めた姿が、思わず笑いを誘う。吹き出しながらも、カイエンはゆったりと言った。
「……それじゃあ、これは王家のお墓へ供える方がいいのかな?」
ふむ、と考え込む。
独自の文化を持っていたドマ王国は、愛国心や忠誠心だけでなく、結束力の強さも特徴だった。王家と民も強い信頼で結ばれており、そう考えれば名前の意見は適切だ。
「たしかに由緒あるものと見受けられるゆえ、あそこに手向けるが妥当でござろう。さすれば、例え民のものであろうとも、王家とともに在るならば持ち主が無念を感じることもないでござるよ」
大きく首肯すると、名前はほっとしたように表情を和らげた。そのまま、かんざしをそっとカイエンに渡す。
預かったかんざしは、近くで見るとやはり美しいものだった。視線を落としているうちに、ふと懐かしい光景が脳裏に浮かぶ。
「……かんざしと言えば、先代の王妃殿下よりこのような話を聞いたことがあるでござる」
平打ちかんざしの円状の部分を指差す。
「かんざしのここに、想い人を表す意匠を入れるといいのだとか。若いおなご独特のまじないや祈願の一種かもしれぬが、なかなか面白い発想でござる」
そこまで言って、こほん、と咳払いを挟む。
興味津々といった風で、首を伸ばすようにして指先を覗き込んでいた名前を横目で見やり、空いた手で口ひげを一撫でする。そうしてから、カイエンはどこか飄々とした物言いでつぶやいた。
「さしずめ名前殿なら、フィガロの国章といったところでござるなぁ……」
その言葉を耳にした途端、名前はぼわんと音が鳴りそうなほど顔を真っ赤にした。
「え、ええっ?! カ、カカ、カイエンさん、なんで、それを!」
「やはり左様でござったか。誰にも告げ口するつもりはござらぬゆえ、ご安心召されよ」
「カイエンさんが誰かに言うなんて、思っても、ないけど……うう、気づかれてたなんて……」
それは、カイエンが彼女を実の娘のように可愛がってきたからこそ気づくことのできた、決して本人の口からは聞いたことのない想いだった。
「拙者、たしかに無骨な男ではござるが、これでも妻子ある身。そのくらいのことはわかるでござるよ!」
大きな口を開け、豪快に笑う。ややあってから、名前も恥ずかしそうにしながら唇を噛むようにして微笑んだ。
「実は、その……一緒に旅をしているときから、気づいたら好きになってて――」
ぽつり、ぽつり。目元をほんのりと赤く染めながら、名前が想い人のことを吐露していく。
カイエンはその声に耳を傾けながら、ドマ城を眺めた。
世界の窮地は救われた。この先もまだまだ様々な苦労は多くあるのだろう。それでも、世界も人々も、間違いなく前を向いている。
――前を向きなされ、光は前からやってくる。
いつの日か、悲しい現実から目を逸らしていた少女に告げた言葉を思い出す。
このドマ王国も同じだ。
今でこそまだ蹂躙の痕跡が残っているが、亡くなった妻や息子、主君に自慢したいほどの身に余る恩を受け、一歩ずつ確実に復興への道を歩んでいる。
ドマも世界も、すべてが前へ、未来へ、光の射す方へと向かっている。
隣を再びまなざし、瞳を細めた。
この名前という少女が、まさに未来を生きるうちの一人なのだと、今は亡き息子が成し遂げられなかった道を生きてくれるのだと思うと、まぶしくてならなかった。
手に持った黄金色のかんざしが、柔らかく射す太陽を受けてきらめいている。その光ごと手のひらの中に閉じ込めて、カイエンは決意を新たにする。
必ずやドマを復興させ、未来へ残してみせよう。そして、その未来を生きる人々を守り、送り出していこう。
そのためには、ひとつずつ、ひとりずつ、背を押してやらねばなるまい。
もちろん、この悩める少女も例外ではなく、淡い恋心を成就させてやりたいと心底思ってはいるのだが――しかし、機械と恋愛に関しては、あいにくまったくの苦手分野なのだ。さて、一体どうしたものかと内心で困り果てながら、それでも、慈しむような微笑みを浮かべ、カイエンは幸せそうに名前の話を聞き続けていた。