僭越ながらすきなのです
幼い頃。二つ年上の彼女が好きだった。初めて会ったのは、海軍である親父に連れられた陸軍との公開合同演習訓練の時だった。彼女は父の友である陸軍上官の娘だった。身分差はあっても親父達の友情は固いものみたいで、連れられた俺達は初対面だというのに演習訓練中はぐれない為にとずっと手を繋いで親父達の勇姿を見ていた。
演習訓練が終わるとその場は祭りの場と変わる。海軍、陸軍の歴史から始まる堅苦しい挨拶から転じて、開幕のファンファーレと共に国民とのふれあいの場になるのだ。幼い頃はこれが何を意味するのか分かっていなかった。大人になった今だから分かる。国民と軍人との間にある壁を薄くし、入隊希望者を募っていたんだ。軍に入れたい親父のささやかな根回しだったのだろう。けど、俺はそんな催しよりも一緒に居た彼女の存在にばかり目を向けていた。
訓練の一部を子供も体験出来ると言われ、彼女は笑顔で俺の手を引っ張った。屈強な軍人の中に混じる華奢な女の子。だというのに、気迫は他に負けず。その時ばかりは気性の激しい女の子にすら見える。でも、実際の彼女はとても穏やかに微笑む優しい女の子だった。体験する彼女を遠くから見ていた俺は、会って大して経っていない間に次々と見せてくれる彼女の姿に惹かれた。そして、一瞬だった。体験を終えて、俺の下に駆け寄ってくる時に向けられた微笑みに、俺の顔は熱くなった。再び握られる手が汗ばんで、力が入らなくなった。今でも――大人になった今でさえも覚えている。ずっと片想いで、そして初恋だった。
俺が海軍に入るまで何度と交流はあった。勿論、互いの父を通して。俺よりも先に彼女は陸軍に入った。その頃から交流は極端に減った。俺も一兵卒として海に出るようになってからは会うことも無くなり、初恋もいつの間にか冷めていた。――というよりも、考える暇すら与えられなかった。海軍に入ったのは、俺が望んでのことじゃない。だから陸よりも海で過ごす厳しい日々が辛くて、俺は逃げ出した。
親父に先導され航海していた今までの人生から初めて逃げ出したあの日に、俺は彼女と再会した。王都の混乱に乗じて海軍を辞めて、のんびりと暮らしていこう。そう思いつつも心の底に根付いていた王への信義を裏切る行為に、俺は居た堪れなくなって第七位王子の下へまた逃げ出した。逃げて、また逃げた先で再び会えるとは思っていなかった。
再会するまでも数年は経っていた。正確には何年程になるだろうか。そう思い返すくらいに、久しく会っていなかった。王子に会いその場で力尽き、運ばれた先で目覚めた俺に彼女は会いに来てくれた。彼女は俺よりも先に王子の下に来ていた。何年も互いに顔を合わせてなかったというのに、俺に会いに来てくれた彼女の顔を見た瞬間、海兵になって実を結ぶこともないと諦めいつの間にか遠くに感じていた気持ちが俺の胸内を容赦無く殴ってきた。俺の知る彼女は少女から女性へと変わる途中の、まだ幼さを残した笑みを見せていた。それが、だ。当時の優しい眼差しをそのままに、どこからどう見ても大人の女性の微笑みを俺に向けてくる。向けられる度にパドルで突かれたかのような衝撃と――心地好さが湧き上がった。
俺は王子が拠点とするこの碧竜の城――聖城で過ごすようになってから、久しぶりの胸のざわつきに落ち着かなくなってしまった。声に出して叫びたい。叫べば、吐き出してしまえば楽になりそうだと、そう思いながらそんなこと出来ない俺は度々重苦しい溜息を吐いては落ち着くことに必死になっている。今日は雲もそこそこに晴れ間の見える良い空だ。聖城から見下ろせる湖の水面に心地好さそうな波紋が見える。――だというのに、落ち着かない。今日はまだ彼女に会っていない。顔が見たい。話がしたい。会えなかった時間の分の彼女を知りたい。釣りは好きだろうか。釣りに誘えたら良いな。でも、交流を深めたいというこの気持ちは俺だけなのかもしれない。誘われたら困るだろうか。それも釣りに。困るかもしれない。そもそも釣りが好きなのは俺で、今の彼女が好きなものを俺は――知らない。
「――っ、はあぁぁ~……」
「セイナー、大丈夫?」
「大丈夫ではないです……って、フリージアさん!?」
「ずっと声を掛けていたのに、本当に気付いていなかったのね」
「あああ、すみません!」
恥ずかしい。恥だ。思わず頭を下げて、顔を見られないようにしてしまう。情けない。
彼女より頭一つ分は、大きくなった。抱き締めれば容易く包み込めるくらいには上背もそこそこある。と思う。だから、俺と彼女が並べば、彼女はとても華奢な女性に見える。だが、現実は違う。一見、少しおっとりとした可愛らしい女性である彼女――フリージアさんだが、実際、戦場に出ると俺よりも逞しく、華奢な身体とは思えない程の安心感がある。俺は海兵だったとはいえ、前線に立つよりも後衛に属してる。それは今も変わらずだ。フリージアさんはいつも先陣に並ぶ前衛騎士だ。階級も俺より上で、一兵卒の俺と騎士であるフリージアさんとでは釣り合う筈も無い。そう、彼女はいつの間にか騎士になっていた。俺の知らない間に、フリージアさんは王子に忠誠を誓う騎士としてここに居た。釣り合うわけがない。何より、決して埋まることのない年の差もある。そんな俺がフリージアさんに釣りに誘うとかもっと話がしたいとか、フリージアさんのことを知りたいとか、烏滸がましいにも程があるというものだ。分かっていることなのに、俺は自分が情けなく思ってしまう。
「……ねえ、セイナー。何度も言うけど、私に頭を下げること無いのだからね? ここでは同志。戦友。そして、幼馴染。だから、お願いだから顔を上げて。ね、セイナー」
フリージアさんの顔が直ぐ傍にある。ふと頭を上げれば、俺の好きな彼女の笑顔が近くにあった。
「……駄目です」
「セイナー……?」
「簡単に、そんなこと言わないでくださいよ……」
会わなかった時間が諦めさせてくれていたというのに、会った途端に欲深くなる。況してや、フリージアさんに乞われては、情けないと思ってしまうこの気持ちで築いた防波堤も無意味なものとなる。
「……き、です」
「え?」
「……聞き逃したままで居てください。もう、俺、毎日が苦しいです」
「セイナー?」
「あああ、駄目だ……フリージアさん、後悔したって遅いんですからね!」
俺は今、どんな顔をしているのだろう。そんなことを思いながら、情けないとも思いながらも、顔を寄せてきたフリージアさんの肩に思い切って顔を埋めて――決意した。
俺なんかに想われて困るフリージアさんの顔を見てみたいって、本気でそう思ってしまったのだから仕方ない。絶対に、赤面させてやる。俺のこのどうしようもない気持ちを、フリージアさんに――ああ、フリージアさん、いい匂いする。駄目だ。情けなさ過ぎて顔が上げられない。困った。
Title by morrina(20200203)