今日は賢者の魔法使いではない彼のことを書こうと思う。
魔法舎には賢者の魔法使いたちの他にもう一人、魔法使いが居る。名前はプリネスと言って、スノウとホワイトに次ぐ長寿な魔法使いだ。スノウとホワイトが賢者の魔法使いになった頃から、魔法舎で過ごす賢者の為に賢者の身の回りの世話や歴代の賢者が残した蔵書の管理をしてきたらしい。スノウとホワイトを時折、『兄様(あにさま)』と呼んでいるけれど、血の繋がりはないらしい。二人が賢者の魔法使いに選ばれる前からの付き合いだそうで、プリネスが二人を慕っている姿というものは北に住んでいたとは思えない程に穏やかに見える。
見た目は十六か、十七くらいだろうか。青年と言うには早く少年というには大人びた、綺麗な人だなと思う。ヒースクリフを少し幼くしたような容姿にルチルのような穏やかな雰囲気を持っていて、北の魔法使いとは思えないくらいにとても優しい人だ。
「それは私のことかな?」
「わあっ」
背後から覗き込んできた声に、驚き焦った。がたんと大きな音を立てて椅子ごと跳ね上がってしまい、テーブルの端に当たった腕がひどく痛む。見られただろうか。けど、これは――今書いているこの手記は、元居たところの文字で書いているものだ。見られても分からないはず。だけど。
「……もしかして、プリネスはこの文字を読めるんですか?」
「うん。少しくらいなら読めるかな。前の賢者に少しだけ教えてもらったからね。といっても、私の名前や魔法使いたちの名前の綴りぐらいなんだけど」
嬉しそうに目を細めるプリネスの顔を見上げながら、今さっきまで書いていたものをそっと閉じる。
「おや。悪口でも書いていたのかな?」
「ち、違います。そんなこと書きません」
「ふふっ。君は優しい子だから、そんな悪いことはしないって分かってるよ。ああ、でも」
プリネスが透き通った声で魔法を唱えた。ふわりと優しい空気が肌を撫で去っていく。淡い光に包まれたプリネスから思わず目を背けると、暫くして肩にとんとんと何かが触れてきた。そっと目を開いてプリネスを見遣れば。
「私は元々女の子なんだ」
「へ……」
「他の子たちには秘密だよ。といっても、スノウとホワイトの兄様たちとフィガロとオズは私が女の子だって知っているけどね」
「は、はあ……」
「とても驚いたみたいだね。君のその顔、好きだなぁ。可愛い」
男の子の姿から女の子の姿になったプリネスが目の前に居た。十八、いや、十九くらいだろうか。二十歳と言ってもいいくらいだ。声色も少し高く、さっきまでの姿と違って僅かな仕草も女の子らしく可愛い。そう。可愛い。とびきり可愛い。顔を近付けて笑いかけてくるプリネスに顔が熱くなるのを感じる程に。見られるのが恥ずかしい気さえしてくる。そして近い。すごく近い。可愛い笑顔で顔を寄せてきてる。しかも良い匂いがする。
「あ、そうか。ごめんね。君には耐性が無いから私の匂いは毒になってしまうね」
大きく一歩分下がるプリネスの唇から再び魔法が唱えられた。ふわりとした優しい匂いに当てられた瞼は、また最後までプリネスの姿を見ることが出来ず閉じてしまった。なんだか勿体ない気持ちになる。そうして再び目を開けて見た先に居たのは、やっぱりいつものプリネスの姿だった。いつも見ていたはずだけど見比べてしまえば、今の男の子のプリネスは女の子の姿のプリネスの面影が残る中性的な顔立ちをしている。
ふわりと微笑んでくるプリネスの顔に、彼だと思っていた人が彼女なのだとようやく理解した。
「その惜しむような顔も可愛い。ちょっと嬉しいな」
「女の子のプリネスはとても可愛いです」
「ありがとう。でも、だめだよ。女の子の姿の時は、あまりじっと見つめないでね。北暮らしが長ったからか、私も北の魔法使いらしく君に意地悪したくなってしまうから」
「……らしく、というと……北の魔法使いではないんですか?」
「うーん……間違いではない、かな。私は南の国で生まれて暫くはそこで暮らしていたんだけど、歳の大半は北でずっと暮らしていたからね。魔法舎に来てからは中央住まいだけど、それでも北での暮らしが一番長いよ」
北の魔法使いにしては物腰豊かでとても親切だと思っていたけれど、南の生まれだと聞いて納得した。賢者の世話をしてきたということもあるのだろうけど、些細なことにすら手を差し伸べてくれる優しさは南の魔法使いそのものだ。何よりも男の子の姿とはいえ、慈愛に満ちる目元は男女関係なく惹き付けられそうだ。どことなく見た目に反した思慮深い雰囲気もあるけれど、スノウとホワイトに次ぐ年長者と思えばそれも当たり前に思えてくる。
「賢者、一つだけお願いがある」
「はい、なんでしょう」
「他の魔法使いたちには読めないからといって、私のこの秘密までは書くことのないように、ね? 書いたら意地悪しちゃうからね」
「……はい」
凄みのある声だったわけでもない。怖い顔だったわけでもない。脅し文句にしては優しいものだ。だけど、逆らってはいけないと思わせる声の響きはとても特別なものに感じた。この人を前に、欺いてはいけない。欺けるわけがない。そう思ってしまう。
「意地悪すると言っても、賢者である君に酷いことはしないけどね」
朗らかに目を細めてプリネスは嬉しそうに笑う。不思議と甘えたくなる。このふわふわとした気持ちは何からくるのだろう。
「これ、賢者! 離れるのじゃ!」
「プリネスを見詰めすぎじゃ」
はっと息を呑む。プリネスと二人きりだったはずなのに、いつの間にかプリネスの両脇にスノウとホワイトが居た。小柄な子供の姿をした二人がプリネスの身体をぎゅっと抱き締めている。まるで兄を取られた双子の弟たちの図のようだ。
「今、ふわふわとした気持ちになって……」
「魅惑じゃな」
「魅惑……?」
「賢者はプリネスの魅惑の力に中てられてしまったんじゃのう」
「プリネス。呪いの類とはいえ魅惑の力は抑えられるはず。賢者の前で抑制力を弛めたのは何故じゃ」
頭一つ分は優に小さいスノウとホワイトに責められるプリネスから苦笑がこぼれた。見た目は小さな二人でも、プリネスにとっては兄様と呼ぶ程に慕っているのだ。逆らえないのだろう。
「兄様たちが危惧するようなことはないから安心して。ただ、賢者に勘違いされたままなのは嫌だなって思ったから、仕方なく弛めただけ。それにほんのちょっとの間だったし。ふわふわとした気持ちにさせてしまったのは悪いと思っているけれど、ふわふわ程度なら、少し距離を置けばすぐに治るから大丈夫だよ」
プリネスの言葉に何を言われているのか理解が追い付かなかった。それでもなんとなくは分かる気がする。仕方がないことだった、とプリネスも言っている。きっと、そんなに悪いことじゃない。
「確かにプリネスは嘘が吐けんからのう」
「スノウもホワイトも心配して来たんだろうけど、私は賢者に酷いことはしないし、させるつもりもないよ」
「うむ。プリネスが賢者を誑かすなんてこと、ありようはずもない。疑ってすまんかったのう」
「プリネスの魅惑の気配に我ら、慌ててしまった……」
「耐性の無い賢者を心配して当然なのだから気にしないで、兄様たち」
完全に置いて行かれた気がする。けれど、和解する三人が並ぶと微笑ましい。中性的な美しさを持つプリネスと可愛らしさ極まるスノウとホワイトだ。
プリネスは以前にも、スノウとホワイトにとって自分はオモチャなのだと言っていた。苦笑いしながらだけど。でも、三人の関係はそんなふうには全く思えなくて、今でもはっきりとしない。
それでも、一つだけ分かることがある。スノウとホワイトは二人で一つだということ。そこにプリネスが過干渉は絶対にしないということ。距離を置いて居るわけでもない、距離を詰めるわけでもない、そんなプリネスの絶妙な距離感があって、その上でこの三人の関係は成り立っている。
どういう関係なんだろうな。まだ理解は出来ない。仲が良いことは分かるけど、どこか不思議に思える三人の関係が少し気になってきた。
そういえば、いつの間にかふわふわとした気持ちが薄れてだいぶ落ち着いてきた。プリネスを改めて見ても、さっきよりはドキドキしない。
「これ、賢者ちゃん。聞いておるのか?」
「何か悩みがあるのなら、我らが相談に乗るぞ?」
「え、ああ、あー……プリネスの魅惑の力って、呪いなんですか?」
呆然としていたから気に掛けてくれたんだろう。この際だから三人の関係性を聞いてみるのも良いかなと思ったけど、すぐにやめた。それは三人を見ていればいい。理解出来る日はその内にくるはずだ。
それよりもプリネスの魅惑の力の方が気になった。呪いの類と言っていたけれど、今の今まで<大いなる厄災>の影響を受けたとは聞いていないからだ。前の賢者の傍に居たのならプリネスも影響を受けることがあったのかもしれないと思ったけど、実際のところは知らない。もしかしたら一緒に居なかったかもしれない。だとすれば、何か別の理由があるかも。
「良ければ聞きたいなと思うんですが……プリネス、どうですか?」
「……良いけど……いや、良いのかな……あんまり良くはない気もする」
一人ぶつぶつと口にしながら考え込み始めたプリネスに、「嫌なら言わなくていいですよ」と咄嗟にその場を繕う。
「賢者ちゃんには刺激が強いのではないか?」
「ホワイト、待って」
「我らも関係することであるからのう。もしかしたら、賢者ちゃんは我らのことを嫌いになってしまうかもしれん」
「スノウも、待って」
「え、スノウとホワイトが関係しているんですか?」
「賢者、君も待っ――」
「「賢者ちゃんも我らとプリネスの四人で遊ぼうかのう!」」
「ダーメ! 絶対にダメ!」
「「プリネスちゃんのケチぃー」」
「可愛く言ってもダメなものはダメ!」
普段、声を荒げることなどないプリネスが、目の前でスノウとホワイトを相手に怒っている。プリネスも怒る時は怒るんだ。
「……とにかく、この力については後で私から君に話すから、少しだけ時間が欲しい」
「ええ、大丈夫ですよ。プリネスの準備が出来てからで構いませんから」
「……ありがとう」
少しほっとしたようなプリネスが優しく微笑んだ。
プリネスにとって、魅惑の力は知られたくないものだったのかもしれない。賢者に誠実でありたいが為に抑えていた力を弛めてまで本来の姿を見せてくれた。文字は名前の綴りぐらいしか知らないって言っていたけれど、本当のところは違うのだろう。賢者だから、この世界のことや魔法使いたちのことを書き留めていると知っているから気遣ってくれたんだ。なんて優しい――やわらかい嘘を吐く人なのだろう。黙っていることだって出来ただろうに。
プリネスが賢者に誠実であるように、魔法使いたちに誠実に向き合いたい。そう、思った。
「すっきりした顔をしておったのう」
「問い詰めることもせん賢者ちゃんは本当に良い子じゃな」
「スノウ、ホワイト。賢者が居ない今だからはっきりと言わせてもらうけど、さっきのは酷い」
「ほほほ、怒ったプリネスは久々じゃ」
「怒っても可愛い可愛い」
「私はあの子と関係を作りたくてこの力を漏らしたわけじゃないよ。そもそも、魅惑の力なんて要らないのに……こんな体質になったのだって二人のせいなのに」
「プリネスは我らのものじゃ」
「我らの愛らしい友人であり、お気に入りであり、寂しがりやの飼い猫のようなものじゃ」
「……飼い猫とまで言うならもう少し優しくしてくれても良いものだと思う」
「優しいじゃろう?」
「しかし、プリネスが賢者を望み、賢者もそれ相応の覚悟があるというのなら、我らはしかと受け止めようぞ」
「昔の我らであればそうもいかんじゃろうが、今の我らなら受け止められるじゃろう」
「……私もあの子もそんなこと一切考えてないのに……どうしたの?」
「うむ。心配してくれておるのじゃな。可愛いのう。さっきまで我らに怒っておったのに」
「今宵に続いて我とスノウがプリネスを可愛がってやろう」
「これ、プリネス。可愛い女の子の姿に戻るんじゃ」
「我らも大人の姿で可愛がってやるぞ」
「ふぅ。……これで何百回――いや、何千回か何万回――なんてどころの数じゃないくらい言ってきたけど……。この男の子の姿で私が兄様たちを可愛がってあげて良いんだよ?」
「「それはダメー!」」
Title by エナメル(20210115)