「君は雨とお友達なんだろうな」
利き手を顎に対する手は傘を持ち、高い位置から見下ろしてくるエドガーをルビアは口を一文字に閉ざしたまま小睨んだ。
「そういうあなたは太陽とお友達なのね。流石、砂漠の王様」
ぽたりぽたりと滴り落ちる雨粒を乱暴に払う。頭から足の爪先まで海にでも飛び込んだかの如く濡れたルビアは、エドガーの背後に見える晴天へすっと目を移し、堪えていた溜息を徐に吐き出した。
「荷物持ちに私を連れて行かないからだよ、レディ」
「……こういう時のあなた程、嫌いなものはないわ」
一瞥の後、片腕に抱えた包みをエドガーの胸に押し付け、ルビアは軒先での言葉の応酬を打ち切った。
外に出た時は雨雲など一切見られなかった。だが、風吹く街並みは急に陰りを見せ、ぽつぽつと降り出したかと思えば力強い雨音を地に鳴らす。帰路にあったルビアは宿へと駆け出したが、軒先に居るエドガーを見付け寄ると、途端に雨が止んだ。清々しい程の青空に目を剥き、呆然としていたルビアに振り掛かったのはエドガーの歯の奥でくつくつと笑う男性的な声である。ティナやセリスであれば恐らく、「大変だったね」と労いの言葉を掛けるのであろう。だが、ルビアに対するエドガーは優しい言葉よりも先に小憎たらしい言葉を投げ掛けるのであった。
「待て、ルビア」
怒気混じるエドガーの声音に僅かに肩が跳ね上がる。一体何事かと半身振り返れば、傘と包みを片腕に持ち直したエドガーが背後に立ち、ルビアを見下ろしていた。その双眸は先の声音とは違い、とても穏やかなものだった。ふわりと香るトワレに、気付けば鮮やかな青のマントに視界を隠されていた。
「俺には今の君を他の男どもに見せる余裕はない。視界は悪いだろうが、俺がきちんとエスコートするから暫くはこのままでいてくれ」
微笑を湛え歩幅狭く歩き出すエドガーに、ルビアの足は自然と添い合う。胸内を啄ばむ何かに気付かない程、鈍いルビアではない。だが、時折見せるその深い優しさに素直になれないでいた。ルビアの歩調に合わせ進む、その優雅な足取りがまたルビアの唇を引き結ばせ、眉間を固める。
「この包みはなんだい?」
「桃よ。コンポートにしてタルトを作るの」
「ああ、ガウとリルムがせがんでいたものか。ルビアの作るものはどれも美味しいから楽しみだな」
「あなたには無いわよ」
「拗ねているのか」
明らかに楽しむエドガーの声音がルビアの耳背に近付き、「いつになく可愛い反応だね」と、存外の低音がそっと響く。粟立つ肌を振り払うようにエドガーの腕から包みを奪い取ると、ルビアは面を上げ睨んだ。
「本当にあなたって意地悪ね」
腕の中よりするりと抜け出し駆け去るルビアの背を、エドガーはただ見詰める外出来なかった。
「本当に……可愛くないな」
紅潮を隠せない頬に貼り付く髪。項や肩、しなる腰は水分を含み曲線をより強調させていた。唇の潤いも、さり気無く隠されていた胸元や太腿も、どれも直視するなと言われて応じる事は出来ない。そんな男心を見せぬよう振る舞い接しているというのに、彼女は一向に素直さを見せてはくれない。エドガーにとってルビアの態度そのものが小憎たらしく、だが愛しいと思わずにはいられなかった。
初めこそはエドガーも礼儀として品の良い台詞を並べ接していたものの、お世辞社会に身を投じて生きてきた彼女からしてみれば日常挨拶と同等のものでしかなかったのか、悉く一刀両断にされてしまった。男として相手にもされない事に少なからずの悲しさと悔しさを覚え、その物怖じしない姿勢がエドガーの男としての矜持を燻らせていた。
先の様子を見るからに、手応えが無い――わけではなかった。胸元を締め付ける擽りにも似た痛みが心地好く、ふっと口角が和らいでいく。
「なあ、兄貴」
近くの客室からそっと顔を出した弟――マッシュに、エドガーは驚きつつも、「何だ」と聞き返す。瓜二つの顔とはいえ、肌の色も肉付きも変わってしまった弟の顔は、幼い頃のまま兄を労わる情を見せていた。
「何でルビアには女性扱いしてやらないんだ? 兄貴らしくもない」
「女性扱いという言葉は嫌いだな」
エドガーにとって女性に優しくするのは至極当然の事であり、敬意を胸に秘めていた。双子であるエドガーとマッシュを産んだ母の遺言を耳にして以来、エドガーの女性に対する姿勢が変わった。乳母が語る母の想い。母に課せられた命の選択に迷いは無く、エドガーとマッシュを優先するよう願ったのだと聞く。故に、エドガーは生き生きとする女性が好きであった。面に陰りがあれば笑顔を引き出させたいと声を掛け、嬉しそうな笑顔を見るのが活力となっていた。
「ルビアには優しくしている余裕が無いだけでいつだって優しくしたいと思っているさ」
仲間として過ごす日々はエドガーにとって掛け替えの無いものである。国王という仮面を外し、唯一、『俺』で居られる場所であるのだ。頭頂部を見る事もなければ責任を押し付けられる事も無い。肩を並べ笑い合い、時に馬鹿な事を言っては窘められる。そんな仲間という絆の中で育まれて往くルビアへの想いは制御する事が出来ないものとなっていた。
「普通に接していては何も返ってこないんだが、軽く突けば跳ね返ってくる。やめられるわけがないだろう?」
「遊ばれる身としたらどーなんだかな」
「遊ぶとは失礼な奴だな。これも一種の駆け引きというものさ……加減が難しいけどな」
笑顔だけでなく、泣き顔も、苦悩に満ちた顔も、怒りに歪む顔をも見たいと思えた女性は後にも先にもルビアだけであった。普段の穏やかなルビアも好きではあるが、冗談や意地の悪い言葉を掛ければ実に様々な情を見せる彼女と過ごす日常が楽しくて堪らなかった。
「兄貴の気持ちも分からなくはないけどな」
「どういう意味だ、マッシュ」
細められたエドガーの目に、マッシュは手を力強く振る。
「違う違う。俺は別にルビアを取ろうとか思ってない。そうじゃなくて」
エドガーの焦りにも見えるその真面目な面に苦笑すると、マッシュは室を出て肩を並べた。
「ルビアって誰にでも真正面から向き合うだろ? 兄貴はさ、人の頭を撫でる事はあっても、撫でられているところって想像出来ないんだよな。それがルビアと並んでいると、撫でられているところを想像出来るっていうか」
「……そうだな」
ルビアの姿が消えた客室を見るエドガーの目元は柔らかく、口元には嬉しさ溢れる笑みを乗せていた。国を出た時に比べ幾分も清々しい面を見せるようになったと胸中に安堵の息を吐くと、マッシュはエドガーの背を掌で容赦無く叩き、満面の笑みを浮かべる。
「これでフィガロも安泰だな、兄貴!」
「おい、気が早いぞ」
「二十半ば過ぎても嫁さんの『よ』の字も聞かないから、まさか世界の女性が俺の奥さんとか言って寝惚けているんじゃって――冗談だよ。……あんまり足踏みしてもいられないんだろ? 爺や辺りがうるさそうだ」
「お前には関係のないことだ。折角、爺やから離れられたというのに、お前にまで言われては俺の逃げ場が無いだろう」
「まだ一つ残ってるじゃないか」
マッシュが徐に指差す先へ視線を向ける。着替えを済ませた想い人の姿を目に留めたエドガーは思わず喉を鳴らし、自然と顔を引き締めていた。
「ルビアには迷わずに兄貴を選んでもらえると俺も嬉しいんだ。陰ながら見守らせてもらうよ」
未だじんわりと痛むエドガーの背に、マッシュの更なる激励が叩き入れられた。背の痛みに音を上げる事は無かったが、耐え凌ぐ面はその痛さを如実に表していた。腹から出されるマッシュの笑い声が客室に消えるのを視界の端に捉えながら、エドガーは向かいから「大丈夫?」と心配の色を見せ近付く彼女へ苦笑した。
「ああ、大丈夫だ。大したことはない」
「何話していたの?」
「君のことを少しね」
「私のこと?」
先までの不機嫌さは見られないものの、身構え始めたルビアにそっと顔を寄せると、エドガーは腹底から沸き上がる言の葉を笑みに乗せた。
「砂漠には太陽と水が必要なんだ」
「ええ、そうね」
「ルビアが俺を太陽と言うならば、俺が必要としているものが分かるだろう?」
次第に俯くルビアの頬を、男性にしてはしなやかな長い指先が捉える。真っ直ぐ見下ろすエドガーの面には誰が見ても分かる程に慈しみの情が溢れていた。
「国としても、俺としても、恵みをもたらす雨が必要だということを……考えて欲しい」
鐘愛する心は時に諧謔を求めてしまう。本当の気持ちを見透かされぬよう、恥じらう様を隠す為に。そして、心地好い胸の音に浸り、繋がりを絶やさぬ為に。互いの心根は諧謔という言の葉に隠され、深い鐘愛に満ちていたのだった。
エドガーにより縫い止められていた視線をようやくと外したルビアは、ぎゅっと目蓋を閉ざし小さく息を吐く。
「……仕方ないわね」
エドガーの前髪に指を差し入れ、くしゃりと優しく撫でるルビアの面ははにかんでいた。
「あなたが私を必要と感じてくれているのなら、真面目に考えるわ」