「ブレディ!」
杖先を宛がわれていたアイルゥの腕はブレディの首後ろへ回り、ブレディの身を引き寄せた。ブレディの身が地に投げ出され、上体を起こした時にはアイルゥの手に握られていた剣先が人の影に突き刺さっていた。
「お、おいっ」
「伏兵か……。ブレディ、私から離れないで」
「けど、お前っ、まだ怪我して――」
「治療は後よ」
「馬鹿! まだ傷口塞がってねえのに!」
「こうすれば少しは益しになるでしょ」
音を立て倒れた敵を跨ぎながらアイルゥは高く結い上げていた髪を解き、血滲む腕の上部に髪紐を回す。口に髪紐の端を咥えながらも視線は辺りを窺ったまま。研ぎ澄まされたアイルゥの感覚にブレディの声は届かない様で、止血を終えると直ぐに剣を握り直す。
肩に触れる事はおろか声を掛ける事すら躊躇われ、ブレディは開いたままであった口をぐっと閉ざし杖を構えアイルゥに従った。
「ちっ……アイルゥを一人にすんじゃなかったな」
アイルゥは幼い頃から方向音痴であった。それも極度のもので、道を教えてもその通りに行けた試しが無い。徐々に戦場から離れつつあったアイルゥの背を追って来てみれば、怪我を負いながらも残兵と戦っている姿にブレディは着いて来て正解だったと心内で何度と呟いた。だが、着いて行くだけという行為に今は後悔を募らせる。
「俺が首根っこ捕まえてねえと、お前、俺達の知らないところでぶっ倒れてんじゃねえか?」
「しっ」
「ちくしょうっ……俺にも」
力があれば。そう続けようとした言葉を飲み込み、ブレディはアイルゥの背から目を反らした。
「……どうやら大丈夫そう」
「そうかよ」
「何よ、不貞腐れて。私が居なければ今頃、首が吹っ飛んでいたわよ」
「俺が居なけりゃお前は戦場で迷子のまま血ぃ流して死んでるっての。お互い様だろが」
剣を一つ振り払い鞘に収めると、アイルゥは舌先をぺろりと出してはブレディを小睨んだ。
「けっ、可愛げのねえ奴」
「ブレディが可愛げあり過ぎるから私の可愛さが薄れるのよ。目をうるうるさせて本当にどうしようもないんだから」
「うっ、うるせえな! 良いから腕出せよ!」
「はいはい、治療の後は涙拭ってあげるからそう怒らない怒鳴らない」
「お前が怒らせてんだろがっ!」
止血した腕を掴み――だがとても優しく引き寄せると、ブレディは手にしたままの杖先を再び宛がった。目蓋を閉ざし静かに詠唱を始めるブレディの面は、普段の強面が意外にも優面に見えるもので、アイルゥはじっとそのブレディの面を見上げていた。
「……何だよ」
「んーん、別に」
「気になんだろ。俺の顔に何か付いてんのか?」
「皺がね」
「あ?」
「付いてる」
止血の為、腕に留めていた髪紐を解くブレディの眉間に、アイルゥは空いている手で触れる。人差し指でぐりぐりと押せば一層際立つブレディの眉間。
「回復魔法唱えている時のブレディもだけど、今のブレディもブレディなのよね」
「何が言いてえんだよ」
「ブレディにはやっぱり私が居ないと駄目ねって事」
「っ――はあっ!?」
ブレディの手元より髪紐を奪うと、アイルゥは颯爽と背を向け歩き出す。首背より髪を束ね髪紐で留めると、アイルゥは呆けたままのブレディへ振り向いた。
「何してるのよ、さっさと皆のところへ戻るわよ? それとも、涙零れそう?」
「おまっ、さっきの――」
「さっき?」
「俺には、お前が……居ないと駄目ってやつ」
「それが?」
ブレディへと真っ直ぐ視線を向ければ、かち合った瞬間にブレディの視線が反れる。口を引き結び首背を掻き撫でるブレディの様に、アイルゥは小首を傾げた。
「言葉通りの意味だけど……何か、変?」
「お、お前なあ! そういう言葉は男に言わせる言葉だろがっ」
「え……何で?」
「何でって」
「ブレディを守りたいなって――ううん、守らなきゃって思ったから言ったのだけど」
途端、口噤んでしまったブレディにアイルゥは益々首を傾げた。
「っこの……天然垂らしがっ!」
「ブレディっ!?」
「アイルゥが先進んで皆のところへ戻れるわけねーだろ! 俺に着いて来い!」
治ったばかりの腕――ではなく、剣柄に触れたままであった手を取られ、アイルゥは先に進んだ方向とは正反対の方向へ誘われた。
「……アイルゥには俺が居ねえと駄目だって事、好い加減に分かりやがれってんだ」
広い背から呟かれた言葉にアイルゥは「分かってるのに」と口を小さく尖らせた。
(20120511)