※もしも「不毛な恋路」の主人公が食満留三郎を相手にくノたまの実習を受ける事になったら。
「大川学園の女子生徒は今日、色の実習を行う事になっているの。というわけで、はい」
「はい?」
「この箱から紙を一枚引き当ててちょうだい。それが貴女の対象よ」
私は口をぽかんと開けたまま、六年い組の長屋にまで押しかけて来た山本シナ先生を見上げた。色の実習と先程、シナ先生は仰った。でも、私は今は忍たまであり、伏見栢丸という何処からどう聞いても男な名前を持つ男。男装しているに過ぎないのだけど、忍たまの――否、大川学園の全生徒が私を男だと思っている――筈。一部、私が女であると知ってる人、居るけど。
「私は忍たまです」
「ええ。でも、女の子でしょう」
「……やらないと駄目なんですか?」
「卒業しても男として振舞うのかしら?」
何処か楽しそうなシナ先生には逆らえない。とびっきりの笑顔で言われてしまっては私も反論する言葉を見失ってしまうもので、私は渋々とシナ先生の持つ箱の中から適当に紙を一枚引いた。乾いた音を立てて開いた瞬間、目に飛び込んできた名前に私は畳に自分の額を打ち付けてしまった。
「……む、無理です。これだけは」
「引き直しは許しませんからね、みつねさん。はい」
「え゛」
ふと顔を上げると、箱を脇に抱え直したシナ先生から可愛らしい色――桃花色の装束が差し出された。もしや、これ着て対象者を落として来い、と。
「使う使わないは貴女の自由よ。頑張ってね。ああ、そう。実習を終えたら直ぐに報告に来なさいね」
「……はい」
シナ先生が居なくなった自室で、私は再び畳に額を打ち付けて項垂れた。これは項垂れるしかない。実習内容は対象者に鬱血の痕を残す事。くノたまの色の授業なんて一度だって受けた事が無いというのに、そんなたまごにすらなっていない私に対象者――あの留三郎を襲えと言う。無理に決まってる。絶対に無理。鬱血の痕を残すという事は接近戦で。それも、直ぐに付くようなものでもないから、それなりの作業時間というものが必要なわけで。襲った瞬間に私は襲われる可能性の方が高い事を知っているわけで。あ、でも、くノたまの装束を貰ったから、くノたまの誰かになれば大丈夫かな。と、そんな事を考えていたら。
「栢丸、居るか?」
「ぶっ」
何故、こうも空気を読めない。いや、空気は確かに読めないものだけど。もしや、シナ先生に謀られたのではなかろうか。すっと開いた戸の先に、留三郎が不思議な顔をして立っていた。
「と、留三郎……」
「何してんだ……額、真っ赤じゃないか。大丈夫か」
膝付いて私の額に触れようとする留三郎の伸ばされた手を私は咄嗟に叩いて、大きく飛び退いた。
「い゛――ったい……」
「おいおい、大丈夫か!?」
衝立の角に頭をぶつけてしまった私は思わず蹲ってしまう。もう、本当に良い事無い。伊作から不運という名の病気を貰ってしまったみたいだ。
「大丈夫だから、そこ、一歩も動くな!」
「何でだよ!」
「危険だからに決まってるだろ!」
「ぐっ……き、危険じゃねえよ!」
危険じゃないと言い張るけれど、留三郎は本当に危険だ。留三郎は私がみつねである事を知っている。ほんの一寸、油断しただけで留三郎に背後を取られ、項に接吻してくる。危険極まりない。
「用があったんじゃないのか?」
「あ、ああ……その、な。今度の休みに甘味所行かね?」
「はあ!?」
「その、男女で行くと安くなるらしくってな。お前、好きだろう?」
「まあ、甘味は好きだけど。……留子となら行っても良いぞ」
「俺はみつねと行きた――ひっ」
留三郎の足元へ私は手裏剣を打った。あと少し角度を違えば、留三郎の腿に刺さったかもしれない。その前に躱されてるかもしれないけれど。極力穏やかに。未だ後頭部がじんわりと痛むけど、私は留三郎に拳を見せながら笑みを向けた。
「私は栢丸だが? その何とかって誰だろうね、留三郎」
「……お、乙女と行きたいんだ!」
「仙子と行って来い。私は断る」
「おまっ、俺がお前の事好きだって知ってるくせに、そりゃないだろ!」
「――っ、な、何故、私が留三郎と一緒に行かなければならないんだ。それも、女装して」
「俺の事嫌いなのか!?」
「別に嫌いというわけではないけど……」
「なら、良いじゃねえか!」
「だ、だから、来るな! 近寄るなって!」
「俺だって男なんだぞ! 好いた女に近付きたいって思うんだから仕様がねえだろ!」
徐に立ち上がっては私へと近付いて来る。物怖じしない留三郎に私は咄嗟に立ち上がろうとしたが、腕を掴まれて前のめりに引き寄せられた。膝が擦れて一寸痛い。留三郎の胸元に抱き寄せられて、逃げ遅れた事に焦ってしまう。
「や、約束が違うっ!」
「みつね……」
抱き着かない。むやみやたらに触れて来ない。此れを約する事で今までの執拗な留三郎の行動を許すとしたのに、留三郎は私の肩で深呼吸を繰り返してはぎゅっと抱き締めてくる。耳元で囁かれる名の熱にどくんと私の胸内は跳ね上がる。私は熱を中てられた。
「わ、分かった、行くから! 一緒に行くから離してっ!」
「本当か!?」
「本当、本当! だから、離れて――っ」
「やったっ!」
離れてと言ったのに、更に腕に力を込めて私を抱き締める。嬉しそうな留三郎の声に、私は何故か顔が熱くなった。顔を上げられない。恥ずかしい。何故、こんなにも留三郎如きに恥ずかしいと思わなければならないのだろう。抱き締められる留三郎の腕に、やはり男なんだなと思ってしまう。容易く抱き締められてしまう私を女なのだと意識させられてしまうからかもしれない。
「留三郎っ」
「ああ、悪い。痛かったか?」
「お願いだから、離れて……」
「……みつね」
見下ろさないで。顔を覗かないで。頬に触れてこないで。留三郎の顔が私の顔を窺ってくる。留三郎の事を嫌いになれれば返り討ちに出来るものの、そこまで嫌いになれない自分が居るからどうしてか強気になれない。勿論、変な事をしようものなら鳩尾にでも一発、拳を見舞うつもりではいるけれど。見下ろしてきた留三郎の目が合うと、思わず目を逸らしてしまった。途端、頬にちうっと留三郎の唇が吸い付いてきた。
「っと、留、さぶろっ!?」
「かっ、可愛いな、おい……やべっ、たまんねえ」
より一層抱き寄せられて、私の額やら目蓋やらといろんなところに接吻を落としてきた。手で制しても手首を奪われてしまい、私は抵抗する間も無く留三郎に唇を塞がれた。
「どうした、栢丸。お前が大の字でうつ伏せるなんて、珍しい」
「仙蔵、か……生気を吸い取られた」
「は? 何を言ってるんだ?」
口吸われる以外の事は無かったけれど、とても疲れた。勿論、私の頭の中には留三郎に鬱血痕を施すという実習は残っておらず、補修となってしまった。
「あの――端にあるくノたまの装束はどうした」
「仙蔵。仙子になって、あれ着て私を慰めてくれ」
「断る」