※もしも「不毛な恋路」の主人公が立花仙蔵を相手にくノたまの実習を受ける事になったら。
「大川学園の女子生徒は今日、色の実習を行う事になっているの。というわけで、はい」
「はい?」
「この箱から紙を一枚引き当ててちょうだい。それが貴女の対象よ」
私は口をぽかんと開けたまま、六年い組の長屋にまで押しかけて来た山本シナ先生を見上げた。色の実習と先程、シナ先生は仰った。でも、私は今は忍たまであり、伏見栢丸という何処からどう聞いても男な名前を持つ男。男装しているに過ぎないのだけど、忍たまの――否、大川学園の全生徒が私を男だと思っている――筈。一部、私が女であると知ってる人、居るけど。
「私は忍たまです」
「ええ。でも、女の子でしょう」
「……やらないと駄目なんですか?」
「卒業しても男として振舞うのかしら?」
何処か楽しそうなシナ先生には逆らえない。とびっきりの笑顔で言われてしまっては私も反論する言葉を見失ってしまうもので、私は渋々とシナ先生の持つ箱の中から適当に紙を一枚引いた。乾いた音を立てて開くと。
「……無理です」
「その言葉は引く前に言う言葉よ、みつねさん。はい」
「え゛」
箱を脇に抱え直したシナ先生から可愛らしい色――桃花色の装束が差し出された。もしや、これ着て対象者を落として来い、と。
「同室の子じゃ大変でしょうけど、頑張ってね。ああ、そう。実習を終えたら直ぐに報告に来なさいね」
「……はい」
実習内容は対象者に鬱血の痕を残す事。詰まりは襲えって事だよね。これはまた難題な実習内容。でも、対象者――仙蔵が相手なら、みつねとして近付けば素直にさせてくれるだろうか。シナ先生が居なくなった事を確認して、私は早々に着替えを済ませた。仙蔵は確か先日に作った焙烙火矢の威力を確かめたいからと外に出ていた気がする。そっと戸を開けて、辺りに気配が無いか見渡す。今の私はみつねであって、乙女では無い。一見するくらいなら私が栢丸であると知られないかもしれないけれど、油断は出来ない。気配が無い事と確信すると、私は近くの木々に素早く身を隠して仙蔵を探し出した。
「居た」
思いの外直ぐに見付かった。木々に囲まれているとはいえ大きく開いた地に焼け掘られた跡がある。一つか二つ程、試したのだろうか。板の上に置いた紙にすらすらと何やら書き留めているその仙蔵の背に、私は身構えた。
「火力が低いな……」
次の焙烙火矢に手を伸ばし、点火。じゅっ、と小さな音を立てて燃え始めた火を下に放り投げた。爆音が響いた瞬間、私は仙蔵の背後に迫って、振り向いた瞬間に仙蔵の後ろ衿を掴み引き下ろした。地に押し倒し仙蔵の腹に跨ると、仙蔵の驚いた顔が私の視界に入ってくる。あ、今の顔、可愛い。
「みつね」
「こんにちは、仙蔵さん」
「変装じゃ、ないな」
「ええ。実習でどうしても仙蔵さんに協力して貰いたくて。この姿の方が素直に協力してくださると思って、変装は解いて来ました」
にっこりと顔に笑みを載せると、仙蔵の顔にも微笑が載る。本当に私の事が好きなんだなあと思う瞬間でもある。
「接吻というやつか」
「ええ。よく知ってますね」
「先程、長次が噂を耳にして私に伝えてきた。私は運が良い」
「あ、一応、抵抗出来ないように針を――」
「しなくて良い。私はみつねになら何をされても抵抗なんぞしない」
眩しい。とても眩しいよ、仙蔵の笑顔。何て顔を向けて来るのだろう。見ている此方が一寸恥ずかしくなってくる。ぽかんと開けたままにしていた口を閉ざすと、私は後ろ手に準備していた針を引っ込めた。
「……本当に抵抗されないのですね?」
「ああ。さあ、どこにでもするが良い」
「……では」
気を取り直して、私は顔に笑顔を貼り付けながら仙蔵の首筋に強く吸い付いた。途端、仙蔵の肩が大きく動く。
「な、みつね!」
突然の事で驚いたのか、仙蔵の両の手が私の肩を掴んで引き剥がす。接吻だと思ってたのだから仕方無いのだろうけれど。でも、今の仙蔵が一寸可愛い。面白い。普段、此処まで動揺しないからかもしれない。仙蔵の慌てる様に小さく笑うと、私は意地の悪い言葉を仙蔵の耳元に唇を寄せて囁いた。
「抵抗しないのではなかったのですか?」
「首に鬱血の痕は――」
「わたくしの二の腕に鬱血の痕を付けたのはどなたでしたっけ?」
暫しの沈黙。何も言えないのだろう。
「というわけですから、大人しくなさってください。仙蔵さん」
此方としても早々に終わらせたいのだから、少し大人しくされるがままになっていると良い――と、そんな私の心内は晒せないので、小さく仙蔵に微笑んだ。そして、再び仙蔵の首筋に吸い付く。鬱血痕なんて人に付けた事が無いから、上手く吸えなくて歯を立ててしまいそうになる。でも、なるべく優しく、ほんのりと痕が残るくらいにしておこう。痕が濃く残ってしまうと、後で五月蝿い話を聞かなければならなくなってしまうかもしれないし。舌先で一寸だけ舐め上げて、また吸い付く。その繰り返しで薄く、薄く。でも分かる程度に痕を残す。
「ひあっ」
両の肩を掴まれたと思いきや、行き成り剥がされ押し倒された。突然の事に息を呑むと、私の首筋に痛みが走った。
「ちょっと、せ、仙蔵さ、ん――っ!?」
「……この実習の対象が私以外であったら、どうする気だったんだ」
「え」
「私以外にも首筋に鬱血の痕など……いや、そもそも私以外は許さんからな」
「い、痛っ、仙蔵さん、痛いっ、ぃやっ」
私の首筋に仙蔵の頭が埋められた。私は此処まで強く吸い付いていないというのに、仙蔵は遠慮という言葉を知らないのか私の首に強く吸い付く。痛い。凄く痛い。離れたと思えば今度は鎖骨に吸い付いてきた。一寸、此れ、見えてしまうんじゃないだろうか。隠せない場所に堂々と――。
「……私以外の者にしてくれるなよ。頼むから」
見下ろしてくる仙蔵の視線に、私は言葉を失った。先とは違う。優しい目じゃない。でも、何処か熱を帯びた目。顔が――いや、顔どころか触れられている肩や足、全身が熱い。私の頬に伸びてきた仙蔵の手がとても優しくて、思わず視線を逸らしてしまいたくなるのだけど、どうしてか私は仙蔵の視線に逃れられないでいた。一つ息を吐いて伏せる目蓋。その目蓋が再び開くと、とても穏やかな笑みを私に向けてきた。自然と口を一文字に引いてしまって、私は動けなくなる。
「どうした……」
動けないでいる私に一寸、意地悪な笑みを見せ始める仙蔵。二寸も無い位置に顔を落としてくると。
「抵抗しないのか? ……しないのなら、続きをしても良いのだと解釈するが――」
「だ、駄目です! 駄目です! 駄目ですっ!」
「うおっ」
仙蔵の胸元を一気に押し上げ倒すと、私は無我夢中で走り出した。顔が熱い。胸が何か焼ける様に痛い。どくどく心臓が鳴ってる。兎に角、何故か恥ずかしくて、仙蔵の傍に居られなくて、私はその場から逃げ出した。何なの、あれ。仙蔵なのに。仙蔵の曲に。高が仙蔵なのに。仙蔵の言動に振り回されてしまうなんて。
痕を付けられた。こんな姿でシナ先生に報告出来るわけがない。でも行かないといけないし。どうするべきか。仙蔵の唇が触れていた場所――左の首筋と右の鎖骨辺りを両の手で押し当てる。どくんと波打つ音がとても煩く感じた。
「シナ先生」
教職員長屋のシナ先生の部屋に向かった私は、その戸の前で頼り無い声を出してしまった。戸がすっと開いて、シナ先生は私を見るなりとても楽しそうな顔でころころと笑った。
「あらあら、もしかして付けられてしまったの?」
「っ!?」
「ふふっ。若いって良いわねー」
「シ、シナ先生っ!」