手に

 実習から帰って来たら、あたしに伝えたい事があるらしい。作兵衛は確かにそう言った。一年生からずっと一緒で、沢山喧嘩した仲だし、沢山意地悪して嫌悪された仲でもあるけれど、あたしは作兵衛が好き。作兵衛はあたしの事、嫌いかもしれないけれど、あたしは何だかんだであたしに構ってくれる作兵衛が凄く好き。そんな作兵衛から突然、「帰りを待ってろよ」って言われたら、一寸、期待しちゃう。
 でも、作兵衛は帰って来なかった。作兵衛だけ、帰って来なかった。三年生の実習期間はそんなに長いものじゃないけれど、その中で見付けられなかったのだから、仕方無く大川学園に引き上げるしかなくって。何時も迷子になって作兵衛を困らせている三之助と左門が帰ってきて、迷子にならないしっかり者の作兵衛が迷子になるなんて、誰が信じられるというの。何で、作兵衛が帰って来ないの。ねえ、どうして。

「あっ、桃葉!」
「あたし、信じない!」

 作兵衛は死んだ。皆が諦めた顔で自分自身に言い聞かせている。皆、認めたくないって気持ちが顔に出てる。なのに、どうして作兵衛は死んだんだって口にするの。まだ生きてる。何処かであたし達を待ってるかもしれないって、何で、そう思わないの。あたしは絶対に信じない。あたしが作兵衛を迎えに行く。あたしを止める数馬の手を振り払って、あたしは駆け出した。作兵衛は生きてる。あたしに「帰りを待ってろよ」って言った作兵衛は諦めた顔なんかしてなかった。顔を真っ赤にして、最後に見た顔は誰にも負けない笑顔であたしを見たんだから。作兵衛は生きてる。絶対に生きてる。





 俺が大川学園に着いたのは実習が終わってから四日くらい経った頃だ。死ぬかと思った。迷子になった三之助と左門を探していたら、足を踏み外して一山下ってしまった。生きているのが不思議と思うくらい、俺は怪我を身体の其処彼処にしてしまった。数馬に怒られそうだなあ。でもって、桃葉に莫迦にされそうだ。ちゃんと大人しく俺の帰りを待ってるかな、あいつ。何だかんだで心配性なあいつの事だから、怒って――涙流して殴ってくるかもしれない。桃葉の涙には弱いんだよな、俺も、数馬も、藤内も、三之助も、左門も、でもって、あの孫兵も。皆揃って、桃葉に弱い。あ、数馬。俺の顔を見て、凄い顔で走って来た。落とし穴に落ちずにやって来た数馬に笑ってやると、数馬は安堵した様な、でも、泣きそうな、とっても分かんねえ顔で俺を見て来た。何だよ。どうしたんだよ。

「作兵衛、よく帰って来たね」
「ああ。只今」
「桃葉は?」
「は? 桃葉? 桃葉がどうし――」

 四日前に俺を探しに飛び出してから帰って来ていないと、数馬は青褪めた顔で言う。数馬の背後から、先生達が走って来るのが見えた。桃葉は俺の帰りを待っていなかったのか。帰って来ない俺を探しに出て、今頃。

「何処行くの、作兵衛!」
「決まってんだろ! 桃葉を探しに行く!」
「駄目だ! そんな傷で行けるわけがない!」
「放せ、数馬! 桃葉を見付けられるのは俺だけ――」

 肩や足が痛むが俺は数馬の手を振り払おうと必死になった。だが、俺の身体は言う事聞かない。何時来たのか分からない善法寺先輩の手刀が俺の意識を奪って行く。桃葉を見付けられるのは俺だけだ。あいつの事だから、俺にしか反応しない。桃葉は周りが見えなくなると迷子になるって、数馬だって知ってるだろ。俺が行かなくちゃいけねえんだ。俺が行かないと。俺が。





 数馬に聞けば、俺が目覚めたのは二日後。次いで出た数馬の言葉は喉を潰したかの様な「ごめん」の一言だった。包帯だらけの俺の手に差し出してきたのは、何時の間にか失くしていた俺の装束頭巾。ぼろぼろになったそれを見て、俺は数馬が言った「ごめん」の意味を察した。

「桃葉が帰ってきたんだろ」
「うん……」
「ごめん、て。じゃあ――」
「作兵衛……ごめん」

 数馬の涙が桃葉の死を決定付けた。生きているなら泣いていても喜んでいる筈だから。きっと、この俺のぼろぼろな頭巾を持って帰って来たんだ。桃葉は。でも、何でだ。何で、桃葉が死ななければならない。俺を探していただけだろう。無茶をする様な――奴だ。確かに、無茶ばかりする。でも、俺はあいつに待ってろって言った。何で、俺より先に死ぬんだよ。俺、何も言って無い。桃葉に俺、好きだって、言ってない。

「……信じねえ」
「作兵衛……」
「俺は、信じねえ。何処に居るんだ! 桃葉に会わせろ! あいつの何時もの意地悪だろ! ぼろぼろになって帰って来た俺を笑う為に仕組んだんだろ! なあ、数馬!」
「作兵衛、ごめん! 間に合わなかったんだ! 帰って来た桃葉は、出血が酷くて――」
「そんな事、聞いてない! 俺は! 俺はっ!」

 分かってる。数馬は嘘は吐かない。桃葉に協力しても、数馬は顔に直ぐに出るから、嘘を吐いていたら直ぐに分かる。認めたくなかった。信じたくなかった。でも、頭巾に着く血の色はとても紅くて、俺の傷の血ではこんな色にならない。とても深い血の色。これはきっと、桃葉のだ。
 何で俺は帰って来た。もう少し、待てば桃葉に会えたかもしれない。いや、そもそも、何で俺は期間内に帰って来る事が出来なかった。帰りを待ってろなんて、桃葉に出来るわけがないと知っていたのに。大人しくも出来ない桃葉だって知っていたのに。

「作兵衛」
「桃葉のところに……行っても良いだろ」
「……うん」

 俺の身体を支えてくれる数馬の手は温かった。連れられた場所に横たわる桃葉の顔は白い。まるで透き通って見える。血の気の無い、桃葉の顔。良かった。顔には傷は無い。

「藤内が化粧してあげたんだ」
「道理で、可愛く見えるわけだ」

 頬に触れると、俺の手を払い除けて顔を赤らめる桃葉はもう居ない。冷たい滑らかな感触に、俺は喉の奥が熱くなった。歪む視界に、足場が崩れてしまいそうだ。不安定な地に立っているような感覚が俺を襲う。

「なあ、桃葉。何でお前、俺を探しに行ったんだ?」

 三之助や左門だって、迷子になって時々帰って来ない時があるじゃねえか。その時、桃葉は探しに出たか。一人じゃ出なかっただろ。ああ、俺と一緒だったからか。

「俺、言ったよな。俺の帰り、ちゃんと待ってろって。なのにお前」

 どうして待てなかった。

「桃葉に言いたい事があったのに……死んじゃ聞けねえだろ。莫迦だなあ」
「作兵衛……桃葉の事」
「好きな奴、死なせる俺なんか……探しに出るんじゃねえよ」

 こんな形で桃葉の気持ちを知るなんて事、誰が望むんだ。俺が望むとでも思ったのか。本当に女らしさの欠片も無い奴。女なんだから、もっと女らしく男の帰りを黙って待ってろってんだ。

「……桃葉っ」

 抱き締めた桃葉の身体は冷たくて、あの温かくて柔らかい良い匂いのする桃葉はもう何処にも居なかった。