※もしも「不毛な恋路」の主人公の同室が潮江文次郎で、隣室が出来ちゃってたら。
少しの事では動じなくなった私は、隣室から聴こえてくる艶めいた声を耳にまたかと胸内に呟いた。男女の営み為らず。男達の営み。女では飽き足らず男で満たす隣室の者達に、私は冷めた視線を壁にぶつけた。寝難い。でも、今日は早く寝たい。明日の昼にある実技試験の為に早朝練習したいからだ。それにしても、何て声を出すのだろう。男にしては本当に艶めいていて、隣の――恐らくあいつはとてもそんな声を出すような顔に見えないというのに。
「栢丸」
衝立の向こうから掛かる声に、私は無視した。文次郎も眠れないのだろう。でも、私は話相手をしてやれる程、余裕は持ち合わせていない。私は早朝練習の為に無理にでも目蓋を閉ざして寝ないといけないのだから。寝辛いなら何時もの鍛錬に出向けば良いというのに。そう思えば、今日は珍しい。文次郎も明日の早朝に切り替えたのだろうか。
「栢丸」
文次郎が動く気配。布団から出たのだろう。そして、一歩一歩私に近付く。一寸、待った。待て。何故、何故、そんなにも近付く。何か、嫌な予感がする。まさか、文次郎も隣の奴等みたいな事をしたいとか言い出さないよね。忍びの三禁がどうのこうのと、結構お堅い文次郎の事だから全く危具して無かったのだけど。
「起きてるのだろう」
気付かれている。仕方が無い。と、顔だけ向けると、文次郎が胡坐を掻いていた。
「何だ」
「お前、よくこんなもの聴きながら寝られるな」
「もう慣れた」
「俺は未だに慣れん」
悩ましい。文次郎の眉が頼り無い。それも当たり前か。私は仰向けに寝転ぶと、天井を見遣りながら文次郎の話相手をしてやる事にした。どちらにせよ、今日は隣の声が止むまでは眠れそうにないから。胸内で安堵する。文次郎は男色では無さそうだ。男色であっても、私が対象とは限らないけれど。
「筒抜けって事、分かっててやってるのか?」
「私が知りたいよ」
「……お前、まさか――」
「私は女が好きだ。隣と一緒にするな」
「あまりにも冷静だから、ついな。済まん」
「そういう文次郎こそ、どうなんだ。色に溺れるな、と溜め込んでるんじゃな――痛っ!」
「莫迦垂れ! 一人で抜いてるわ!」
「……それも寂しいものだと思うけどな」
「お前だって同じだろう」
「……まあ。うん」
文次郎は私が女である事を知らない。文次郎に殴られた額を擦りながら、私は上体を起こして壁を睨み付けた。
「一つ、黙らせるか」
「どうやる」
「最中に忍んで堂々と見てやるか。若しくは、隣の奴等が夜な夜な五月蝿い事を長屋全体に触書き貼って知らせるか」
「相変わらずえげつないな」
「仙蔵よりは益しだよ」
「前者は断るぞ。誰が見たいと思うか。お前は見たいのか?」
「いや、見たくない。見れない事も無いけどな」
「後者は範囲が大きいだろう」
「先生方に見付かったら、それこそ毎日健やかに眠れそうだけどな」
「退学させてどうする」
「優しいな、文次郎は」
私達は腕を組み眉間に皺を寄せる。すると、戸に気配がした。
「俺だ」
「入れよ」
苛立ちを隠さずにずかずかと室に入って来たのは仙蔵。思えば、仙蔵も隣の部屋の隣人だ。
「どうにかしろ」
「俺に言うな。俺達だって迷惑してるんだ」
「仙蔵、何か懲らしめる良い案は無いか? 退学にならない程度でさ」
文次郎の隣に胡坐を掻いて、仙蔵も腕を組み眉根を寄せる。未だに隣の部屋から聴こえてくる声に、私は「今日は結構長いな」と感想を漏らした。
「くノたまに協力して貰おうか」
「……なあ、文次郎。私と仙蔵、どっちがえげつないかな」
「……悪かった」