半刻は経ったかな。壁に背を預け、書へと目を落としていた私は、ひそひそとだが賑わう声に視線を上げる。仙蔵を囲むのは私の弟である兵太夫と、それから作法委員会の一年生である黒門伝七、三年生の浦風藤内、あと、四年生の綾部喜八郎。何でも、近々ある予算会議に向けてのからくりを作るのだとか。
私も兵太夫の姉――みつねとして兵太夫と一緒にからくり作りがしたい。だが、今は男だ。六年い組の伏見栢丸なのだから、そんな事出来る筈もなくて、少し疼く心を遠目で皆を見ては落ち着かせていた。それにしても。
「――懐かしいな」
作法委員の大小異なる背を見ては、ふと思ってしまう。私達にも過去にこんな可愛らしい時期があった。そう、あの時はまだ私達は可愛らしかったのだ。
「仙蔵、昨日言われたやつ、何とか作れたぞ!」
「本当か、留三郎!」
仙蔵が提案するからくりを何枚も重ねた紙に筆落とす私は、戸を勢い良く開け放ち入る留三郎を見上げた。その横からはからくりに関する資料であろう書物と巻物を幾つか抱えた長次が顔を出してきた。私達、四人は六年生や五年生でも難攻するであろうからくりを作る事で名を広めていた。正直、一寸、嬉しくない。別に六年生や五年生を狙ってからくりを作っているわけでは無いというのに、何かあると目の敵にされてしまうから。からくりに引っ掛からなければ良いだけの話だというのに。
私達は一重にからくりの面白さを追及しているだけ。まあ、実験台として何時も文次郎を想定してるんだけど、何故か文次郎と一緒に伊作や小平太が引っ掛かってしまう。決して文次郎を苛めたいとか、文次郎の事が嫌いだとか、そういった事じゃない。私達は、純粋にからくりを作るのが好きなだけなんだ。
「こんなものを見付けた。仙蔵、こういうの好きだろう」
「どれ……」
「ああ、確かに。仙蔵はこういうの好きだな」
長次の手に解かれ開く巻物に、私は仙蔵と共に食い入った。少し細かいが、一癖も二癖もあるからくりの作りに、「これなんてどうだろう。組み込めそうじゃないか?」と指差してみれば、「こっちの方が組み込めそうだ。こっちにしよう」と、あれやこれやと出て来る話に胸が躍る。私が先まで紙に纏めていたからくりの全体図に留三郎の質問が入れば、私は仙蔵の隣から留三郎へ向き直り、からくりの仕組みを一から丁寧に説明した。
「栢丸、居るか――って、お前等!」
「げ、文次郎。見付かった」
「撤収!」
「おい、待て! その紙、見せろ!」
蜘蛛の子を散らすかの様に、私達はからくりの一切を腕に抱えて文次郎から逃げた。予め私と仙蔵の部屋に逃げ道として簡単なからくりを作っていたのが幸いだったのか、床下への道に長次と留三郎が素早く身を隠し、私は仙蔵と共にからくりの全体図を描いていた紙を抱えて天井裏へ回った。
「危ない、危ない」
「仙蔵、油断は禁物だ。追って来るかもしれない」
「そうだな。栢丸、こっちだ」
「お前等、待ちやがれ!」
仙蔵に促され文次郎の室に降り立つと、文次郎の声が聞こえてくる。腕に抱えていた紙を仙蔵に全て渡すと、私は追って来た文次郎を迎え撃つ事にした。仙蔵は肩に触れるか触れないか程度に結った綺麗な髪を靡かせて、室を後にした。仙蔵の華奢な背が遠去かったのを確認して、さあ来い、と云わんばかりに室の中央で待ち構えていると、私と仙蔵が先程降りて来た天井穴から手裏剣が私に打ち放たれた。後方へ飛び、片手で床に手を着いては回転する。その後を追う様に手裏剣が三枚、四枚と打たれ、文次郎の室に良い音を立てながら刺さった。
「あーあ、此れを直すの、留三郎なんだぞ」
「お前等、また俺に隠れてからくりを企てていただろう!」
「文次郎だって鍛練になるって意気込んでるじゃないか」
「誰が言った、そんな事!」
「仙蔵が言ってた」
小さく舌先を出してやると、文次郎が天井穴からひょっこり顔を出してきた。意外にも実は整っている文次郎の髷が可愛らしく揺れている。四年生であると象徴する紫紺の装束にはお似合いの可愛らしい髷だ。ほんのりと隈を目元に載せる文次郎は可愛いのかそうでないのか、実に分からない。ふと、そんな事を思っていると、文次郎が天井穴から勇ましく降りて来た。手には袋槍の先が握られている。文次郎の得意武器だ。
「栄誉ある使命を文次郎に与えているのだ――とも言っていたな。そう、怒るなよ。伊作は協力的だぞ?」
「あいつは俺で新薬を試したいだけだろうが!」
「嫌ならからくりに引っ掛からなければ良いだけの話だろう? まあ、仙蔵の謀りに有無も言えずに歩かされる文次郎だから、こうやって無駄な抵抗をするのだろうけれど」
「その口、黙れっ!」
「おっと」
飛んできた槍の先を避けると、文次郎の拳が私の顔面目掛けて入る。咄嗟に両の腕を交差して宛がう。棒手裏剣が仕込んであるとはいえ、日に日に力を増す文次郎の拳は私の腕に結構響いた。痛い。でも、私以上に痛いのは文次郎だろう。生身が鋼にぶつかったのだから。
「痛っ」
「悪いな、文次郎」
「ま、待て、栢丸!」
「あと少しなんだ。楽しみにしててくれよ、文次郎」
私の足掛けに盛大に転んでくれた文次郎を見下ろして、私は笑顔で室を飛び出した。文次郎の悔しそうな声が背に掛かるが、振り向かないで行こう。私は塀からひょっこりと顔を出して手を振る留三郎の下へ駆けた。
書を閉じると、仙蔵が私の隣に座してきた。仙蔵も私と同じ事を思ったのか、後輩を見る目がとても穏やかだ。
「なあ、栢丸。予算会議が終わった頃を見計らって、一つ企てないか?」
「言うと思ったよ。どうせ、今期の予算も素直にくれないだろうしなあ。……良いさ、仙蔵の遊びに付き合ってやる」
作法委員会で作るからくりとは別に、文次郎を狙ったからくりを作るのだろう。文次郎が会計委員会の委員長を務めるようになってから、私達はより一層団結して文次郎を嵌める為のからくりを作るようになった。私は紙一重のところで避ける文次郎を見るのが毎回の楽しみとなっている。だから、毎回協力している。文次郎には悪いけれど、腹癒せには持って来いなんだから仕方が無い。
「後で私が留三郎と長次に声を掛けておく」
「ああ、頼んだぞ」
「立花先輩、此処、どうしますかー?」
「ほら、へ――笹山が呼んでるぞ?」
「ああ、今行くから待て」
出来れば私もその作法の輪の中に入りたい。だが、私が入ればそのからくりは作法委員会のものではなくなってしまう。きっと、兵太夫が精一杯頑張って考えたものなのだろう。ならば、私は少し離れたところから見守るしかない。
仙蔵の背を見送っていると、ふと仙蔵の足が止まった。どうしたのだろうと見ていると、綺麗な髪で弧を描きながら振り向いてきた。
「栢丸」
「どうした、仙蔵」
「お前も来い。折角だ、大きなものを作ろう」
差し出された手と仙蔵の顔を交互に見遣り、その背後で私に視線を向ける作法の子達を見る。懐かしいと思う表情を浮かべる皆に、私は一つ苦笑を零すと、仙蔵の手を受け取って立ち上がった。
「なあ、仙蔵。会計委員会の部屋に残っているからくり、確認した方が良くないか?」
「全て把握している」
「だけど、相手は私とお前の友だぞ? 誰よりもからくりの恐ろしさを知る奴だから、一工夫しているかもしれない」
「それは――有り得るな」
楽しい楽しい、からくり作りの時間。一年、二年と時を経ても変わる事が無い楽しい時間に、私は自然と頬を綻ばしていた。皆の顔を見れば、私と同様に楽しげな表情を浮かべている。ああ、こういうの、良いかもしれない。友と作るからくりも楽しいものだけど、後輩等と共に作るからくりも楽しい。新鮮な発想の中から生まれるからくりに出会えたり、今まで培ってきた技術や発想を引き継ぐ事が出来るのだから。
文次郎。私達のからくり、楽しみにすると良いよ。
「立花先輩、伏見先輩、失礼します! 兵太夫! 三治郎から聞いたぞ!」
「げ、団蔵!」
「仙蔵! お前、作法委員総出で何を企んでやがる!」
「私も参加しているぞ、文次郎」
「栢丸! お前まで参加するな、莫迦垂れぃ!」
慌しい足音と声に、私と仙蔵は文次郎を迎え撃つ為に後輩達を背に押し遣った。