あの子さえ幸せであるのなら、私は高望みなんてしない。あの子が太陽のように笑っていられるのなら、剣を手放したって構わない。私にはあの子が必要で、あの子の笑顔が見れるだけで幸せを感じるのだから。生きていて良かったと思えるのはあの子が傍に居たから。だから、どうかあの子の笑顔を奪わないで。
「イリア」
ああ、あの子が――パティが私を呼んでいる。ふと振り向くと、腰に両の手を宛てがって、私を見下ろしていた。今日も目元に笑みが乗る彼女は私の相棒でもあり、私を影の世界から救ってくれた恩人。傭兵稼業に明け暮れ人の温かみを失いつつあった私を、太陽の下に引き摺り出してくれたのがパティだった。
「今日ね、セリス様がさ――」
最近のパティは反乱軍――否、解放軍を統べるセリス様に恋をしている。解放軍を指揮するのはシャナン様だと思っていたが、いざ、仲間入りしてみれば違った。私からしてみればどちらでも同じように思えた。一応、「様」と付けて呼ぶのはパティが慕っているから。そうでなければ雇い主だろうと私は「様」なんて付けない。傭兵は実力主義なのだから、力を乞われれば私の価値の重さで働くのか働かないのかを決める。私の場合、パティが盗賊稼業から足を洗って従軍するだなんて言い出すから、雇われる以前の話になるんだけど。それでも、私はパティが笑顔で居るのなら、何を命ぜられても是と答える覚悟は出来ていた。
私の隣に腰を下ろし楽しげに話すパティに、私は今日も生きていて良かったと心から思う。戦場に立てば何時、パティが私の前から消えてしまうか、それだけが怖くて怖くて。二人で一緒に笑っていられる今の時間が、私の宝物だった。
「イリアも好きな人見付ければ良いのに」
「パティみたいに玉の輿を狙って? 冗談じゃない。私は傭兵よ。貴族の血が流れる人となんて、とんでもない。ああ、でも、セリス様の――シアルフィ家は先の大きな戦で謀反を興して爵位を剥奪されているから、玉の輿どころか平民と同じか」
「セリス様の悪口は許さないわよ」
「悪口じゃないよ。本当の事を言っただけ。でも、パティが好きな人なら良い人だって事は確かだ」
「当ったり前じゃない!」
屈託の無いパティの笑顔。私にはそれだけで十分だった。例え、この先、一緒に居られなくなっても、パティが笑っていられるのなら、私は満足だと言える。寂しいだろうけど、パティを想えば一人でも生きていけると思った。
思っていた。
「パティ!」
私の目の前でパティの動きが止まった。パティの綺麗な金の髪が風に舞って、地に背を向け倒れるパティの姿に、私は握っていた剣を落した。嘘だ。考えたくない。違う。そんな事ない。パティは何時だって元気で、太陽のようにはしゃいで、私の名前を呼んでくれた。あの紅いものは何。細いものがパティに。パティに刺さって。
「パティ! パティ! 嫌だ……違う、違う、違う!」
「……イリア」
倒れたパティの身体を抱き締めた。熱い。生きてる。でも、パティの顔が笑いながら泣いている。戦場に居るというのに、掠れたパティの声が鮮明に私の耳に聞こえてきた。私を呼ぶ声。嗚咽と、痛みに耐える息遣いの中に紛れる、私の名前。パティの胸元を紅く染める一本の矢は銀糸と金糸を編み込んだような輝きを持っていて、パティの髪の色の様だった。綺麗だと思った。同時に、懐に血の塊が沈む気怠さを覚えた。過去、パティと出会う前に持っていたもの。パティと出会って捨て去ったと思っていたものだ。
私の名前を呼んで、私の頬に触れて、力無く目蓋を閉じたパティに笑顔はなかった。パティから笑顔を奪ったのは何。パティの未来を、私の未来を奪ったのは、何。
「パティ、だと……」
男の声に私はゆっくりと振り向いた。パティの胸に刺さっている矢と同じ矢を手に持ち、構えもせず一歩一歩近付いて来る男。一介の傭兵の姿があった。この男がパティを殺した。パティから笑顔を奪い、命を奪った。私の生きる糧を奪った男。
何時の間にか私の手には落とした筈の剣が握られていた。男が何か叫んでいるが、私には何一つ聴こえなかった。男の声だけじゃない。戦の音という音全てが聴こえなくなっていた。
「パティ……笑って」
何を切ったか、私には分からなかった。味方なのか敵なのか、判断するものを失った私は唯々パティの笑顔を欲した。パティの笑い声が聴こえない。パティの気配が無い。そんな世界なんて、私は要らないのだから。
「ねえ、パティ。もう一度……私の名前を、呼んでっ」