寝息の修練を怠らずにいたお蔭か、僕はみつねに起きていると知られずに居た。みつねがなかなか寝てくれなくて、もしかしたら僕が眠るのを待っているんじゃないかなと思って、僕は寝ている振り――詰まりは寝入りを演じた。暫くすると油断したのか、みつねが僕の腕から起き上がった。出て行くのだろうかと待てば、僕の前髪を梳いて「伊作みたいな人を好きになれば良かった……」と口にする。前髪に触れるその手を掴んで再び僕の腕の中に閉じ込めてしまおうかとも思ったけれど、ぽつぽつと落ちる音――きっとみつねの涙だ――に駆り立てられた衝動が揺らいだ。室を出て行くその背を見送られていたとは、みつねも気付かなかったのだろう。そっと布団から出でてはみつねの後を追った。手にしたままのみつねの頭巾が夜風に揺れて縁側の柱に何度か当たるが、それすらみつねは気付かない。泣きながら歩いているとは分かっていた。でも、此処で引き止めてしまえば、みつねは僕を避ける様になってしまう気がして、唯々、その華奢な背を追った。五年生長屋に来た時、何でとも思ったけれど、みつねは火薬委員会だから実習で不在の五年生の室――それも久々知の室を借りるのは道理かなとも思った。斉藤はみつねが女の子なのだと気付いている風だったし、二年生と一年生の火薬委員は一人部屋じゃないから気が引けるだろうし。ともすれば、今は不在の久々知の室が一番安全だ。
寝入った気配を察すると、僕は静かに室に入った。何だか、こういう事の為に忍びの術を鍛練している様で気が引ける。でも、鍛練しているからこそ、寝静まった室に堂々と入れるものなのだけど。
「……僕みたいな人を好きになれば良かったって、言ってくれたよね」
耳元で囁いてみるが起きる気配は無い。青白い月の光が照り、みつねの頬を露わにする。ああ、やっぱり泣いていた。涙の痕が薄っすらと残っている。そっと指の腹でその痕を撫でてやると、僕は少し離れたところで横になってみつねの寝顔を見詰めた。
「僕を好きになってくれれば良いのにと、僕も思っていたんだよ」
みつねが口にした「伊作みたいな人を好きになれば良かった」という言葉は、裏を返せばやっぱり仙蔵の事が好きなのだと、何故仙蔵を好きになってしまったのだという言葉になる。
「……何で仙蔵なんだよ」
悔しい。僕は一年生の頃からみつねを見てきたというのに、仙蔵は数ヶ月前からじゃないか。僕の方が何年も前から恋慕っていた。直接想いを伝える事は出来ないとしても、みつねの傍に居ようと頑張った。辛い事や嬉しい事を沢山共有してきた。男として。友として。そして、みつねを女の子として見る僕として。
「こんなに好きなのに……五年間もずっとずっと想ってきたのに、どうして仙蔵ばかり見るの?」
腕を伸ばせば届く距離。指先でみつねの唇に触れて、僕はゆっくりと起き上がる。唇を寄せて、少しかさ付いたみつねの唇に僕のそれを重ねた。
白む朝を前にして僕はみつねが目覚めるのを待った。何食わぬ顔――いや、ちゃんと怒った顔の方が良いな。人の慰めを蹴飛ばして何処ぞへと姿を晦ましたのだから、怒って当たり前だろう。それに、怪我して僅かながらも普段より高い熱を持った身体なのだから、保健委員長として怒っても良い筈だ。そうと決めた僕は室の外から気配を絶ってみつねが起きる時はまだかまだかと待ち侘びた。
起きたのか起きていないのか少し分かり辛い気配に、僕は身を乗り出す。けれど、みつねの小さな声に、身を引っ込めた。今、誰の布団だと言った。「兵助」と――久々知の布団だと言わなかったか。久々知の室だとは分かっていた。その室にある布団なのだから、久々知、若しくは尾浜の布団を使っていた事くらい、分かりきっていた筈だ。だというのに、僕の胸内は軋む。好きな子の口から別の男の名が出れば心地好いものではない事は確かだが、こうも女の子らしい――そう、みつねらしい声音で言われてしまうと気に食わないもので。怒りで気配を悟られない様に身を潜める事にばかり集中していた僕は、声を掛けそびれてしまった。もう少し様子を見ようと身を正す。そっと覗けば簪を手に少しばかりふら付くみつねの後ろ姿が見えた。そして、陽の光に照らされて反射する藤の簪を目にしたんだ。
「僕がこの簪を手にしたのは、君を僕の室で寝かせた後だよ」
みつねが僕の布団で寝ている時に、実はこっそりとこの簪を耳背に掛けてやってみたりもしたんだ。流石、じ様だと思ったよ。この藤の簪はみつねによく似合ってる。出来れば泣きそうに眠る面じゃなくて、おっとりとした笑みの時に見たいものだけど。でも、今のみつねは素直に見せてくれないよね。秋休みの時に見せてくれたあの姿をもう一度見たいな。
親指、人差し指、そして中指で簪をころりと回しながら、僕はみつねの視線に僕の視線を合わせ屈んだ。
「僕の勝ち、だよね?」